野方町
日本の東京府豊多摩郡にあった町
野方町(のがたまち)は、かつて東京府豊多摩郡に存在した町。現在の東京都中野区北部に当たる地域。
のがたまち 野方町 | |
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廃止日 | 1932年10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 野方町、中野町 → 東京市中野区 |
現在の自治体 | 中野区 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京府 |
郡 | 豊多摩郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
52,760人 (1931年12月31日) |
隣接自治体 | 豊多摩郡中野町、落合町、杉並町、井荻町、北豊島郡石神井村、上練馬村、中新井村、上板橋村、長崎町 |
野方町役場 | |
所在地 | 東京府豊多摩郡野方町 |
座標 | 北緯35度43分06秒 東経139度39分12秒 / 北緯35.718333度 東経139.653333度座標: 北緯35度43分06秒 東経139度39分12秒 / 北緯35.718333度 東経139.653333度 |
ウィキプロジェクト |
1924年(大正13年)に町制施行することにより誕生した。なお、その前身となった野方村(のがたむら)についてもここで言及する。
地理
編集現在の地名において、新井、江原町、江古田、上鷺宮、上高田、鷺宮、白鷺、沼袋、野方、松が丘、丸山、大和町、若宮に相当する。
歴史
編集地名の由来
編集江戸時代に多摩郡と豊島郡の一部にあった多くの幕府直轄領と旗本の知行所とが入り混じった広い範囲を「野方領」と呼んだことから。現在の中野区を含み、板橋方面にまで達する範囲を指した[1][2]。
沿革・年表
編集- 1878年(明治11年)11月2日:郡区町村編制法が施行され、多摩郡が4郡に分割され、東多摩郡が成立する。
- 1889年(明治22年)5月1日:町村制施行に伴い、江古田村・上高田村・新井村・上沼袋村・下沼袋村・上鷺宮村・下鷺宮村が合併し、東多摩郡野方村が発足する。
- 1896年(明治29年)4月1日:東多摩郡が南豊島郡と合併し、豊多摩郡となる。
- 1924年(大正13年)4月1日:野方村が町制を施行し、野方町となる。
- 1927年(昭和2年)4月19日:西武村山線(1952年から西武新宿線に改称)が開通する。
- 1932年(昭和7年)10月1日:東京市に編入して消滅し、中野町とともに中野区の一部となる。
町名の変遷
編集中野区成立時の町名改称は以下のとおり[3]。
実施後 | 実施年月日 | 実施前 |
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上高田一丁目 | 1932年10月1日 | 大字上高田字道南・新井前・道中 |
上高田二丁目 | 大字上高田字道北・北ノ原・氷川前・山下 | |
新井薬師町 | 大字新井 | |
江古田一丁目 | 大字江古田字東和田・東本村・南原・北原 | |
江古田二丁目 | 大字江古田字下ノ原・上ノ原・北ノ原・西ノ原 | |
江古田三丁目 | 大字江古田字寺山・本多 | |
江古田四丁目 | 大字江古田字丸山・徳殿・籠原・籠原窪 | |
沼袋南一丁目 | 大字下沼袋字新橋・三谷・原大久保 | |
沼袋南二丁目 | 大字上沼袋字新田・中通・西通 | |
沼袋南三丁目 | 大字上沼袋字西原・北原・下ノ谷・川ノ北 | |
沼袋北一丁目 | 大字下沼袋字大下・木村 | |
沼袋北二丁目 | 大字下沼袋字北原・中通 | |
鷺宮一丁目 | 大字下鷺宮字沼袋境・塚越・本村・大場 | |
鷺宮二丁目 | 大字下鷺宮字宮前・原 | |
鷺宮三丁目 | 大字上鷺宮字籠原・御嶽前 | |
鷺宮四丁目 | 大字上鷺宮字中内出・槐戶・根ヶ原前 | |
鷺宮五丁目 | 大字上鷺宮字北原・城山・北久保・中内 | |
鷺宮六丁目 | 大字上鷺宮字西原・大境 |
行政
編集町役場は、現在の野方WIZ・野方区民活動センター(中野区野方五丁目3-1)に所在した[4]。
交通
編集鉄道路線
編集- 西武鉄道村山線(現・新宿線)
- 府立家政駅(現・都立家政駅)(西武新宿線)、新江古田駅(都営地下鉄大江戸線)は開業していなかった。
教育機関
編集名所・旧跡
編集脚注
編集関連書籍
編集- 高橋源一郎 『武蔵野歴史地理 第二冊』 武蔵野歴史地理学会、1929年
- 東京市臨時市域擴張部 『豊多摩郡野方町現状調査』 1931年
関連項目
編集- 東京都の廃止市町村一覧
- 法政大学野球部 - 戦前の六大学野球黄金期に中野グラウンドを本拠地としていた