野川検校
野川 検校(のがわ けんぎょう、1650年(慶安3年)頃 - 1717年3月19日(享保2年2月7日))は、江戸時代前期から中期にかけて活躍した筝曲作曲家である。諱は楽一。柳川検校が創始した「柳川流」を対抗した「野川流」を創始した。
経歴・人物
編集大坂(現在の大阪市)の生まれ。若くして朝妻検校(勾当)の門人となり、筝曲を学んだ。
この業績により1696年(元禄9年)に検校に認定された。三味線を用いた組歌を改変し、弟子の浅田検校に伝える等、約30曲もの組歌を鮮明に残した。また、琵琶法師の奏者としても活躍する等一躍名を馳せた。
主な作品
編集代表的な筝曲
編集- 『春草』
- 『子の日』
その他の筝曲
編集- 『かぞへ歌』- 歌謡集『松の葉』(1703年(元禄16年)に刊行)に収録。
- 『舞扇』
- 『若松』