郭文懿
生涯
編集大業14年(618年)3月11日に隋の煬帝が死亡すると、5月に越王楊侗が即位し、郭文懿は、内史侍郎に任ぜられ、元文都・段達・王世充・皇甫無逸・盧楚・趙長文らとともに幼主を補佐することとなり、これら七人は「七貴」と称された。
郭文懿・元文都・盧楚・趙長文は、李密を召集して宇文化及を攻撃させたが、このことは、王世充の不満を引き起こした。元文都らは、王世充を排除しようと企てたが、段達によって密告された。
7月15日、王世充は、兵を率いて洛陽の宮城に攻め入り、太官署において、盧楚の身柄を拘束し、斬殺した。また、恭帝侗の身辺にいた元文都もまた、斬殺された。正午、郭文懿と趙長文が捕獲され、殺害された。