郎中
歷史的沿革
編集秦から前漢
編集中国の古代、秦の時代に宮殿の衛兵として設置された。
前漢では皇帝の親衛隊である郎官のうちもっとも位が低いものだった。秩石は比三百石で、定員なし[1]。車郎中将、戸郎中将、騎郎中将の3郎中将が統率した[1]。
後漢以降
編集後漢以降は尚書の属官となり、最初は郎中として任命され、1年後に尚書郎となり、3年後に侍郎となった。以後、尚書台の役割が大きくなるにつれて郎中の権限も強くなった。隋・唐から清朝まで、朝廷の補助部門に割り当てられる官職で、品秩は正五品、諸雑務を処理する中級官職として卿や少卿の指揮下にあり、現在の司長に相当する。 例えば、清朝では内務府郎中が宦官の管理や宮廷の雑事を担当していた。副官は員外郎(従五品)であった。1912年の宣統帝退位後は、この官職は廃止された。
関連項目
編集脚注
編集参考文献
編集- 孫文良,中國官制史,1993年,台北,文津出版社。
- 秦、漢時,掌宮廷侍衛。隋代以後,為六部內各司之主管。史記·卷八十六·刺客傳·荊軻傳:「而秦法,群臣侍殿上者,不得持尺寸之兵;諸郎中執兵皆陳殿下,非有詔召不得上。」
- 班固著、『漢書』
- 大庭脩監修、漢書百官公卿表研究会『『漢書』百官公卿表訳注』、朋友書店、2014年。