演説
人前で話すこと
(遊説から転送)
演説(えんぜつ)とは、議会や民衆などの前で自らの主義、主張を話すこと[1]。スピーチ(英: Speech)[注 1]ともいう。演舌とも[2]。
概要
編集現在の日本においては日本国憲法において結社、表現、思想の自由などが認められているため、公共の場所ならいつでもどこでも常識の範囲内で演説することができる。また、私有地においても相応の許可を取れば演説が可能である。
日本では一般的に選挙運動期間中に繁華街の駅前などでその選挙区の候補者の演説を聞くことができる。「遊説」(ゆうぜい)ということもある。選挙運動期間以外でも特定の政治団体などが演説会を開催している場合がある。また、議会などで議員が壇上で自らの主張を述べるのも演説と言え、新内閣発足時に慣例として行われる所信表明演説はその全文が新聞に公開されるのが常である。
なお、日本語の「演歌」は、明治の自由民権運動時代にできた言葉で、「演説」が語源である。
→詳細は「演歌」を参照
語源
編集「演説」という表記は福澤諭吉と慶應義塾関係者による造語である。当初、福澤の出身地である旧中津藩で上申に用いられていた「演舌書」という文書があり、「舌の字は餘(あま)り俗なり、同音の説の字に改めん」(『福澤全集緒言』より)としたことが端緒である[3]。
1874年6月27日、第1回三田演説会がひらかれ、会員福澤諭吉・小幡篤次郎ら14人が演説した[4]。これが演説会の初めとされることがある。
仏教用語に於ける演説
編集ニルデーシャ(निर्देश、サンスクリット語)の訳で、教えを演べ説くこと。法(真理や道理など)を人々にわかりやすく説き明かすことを言う。 前述の福澤諭吉等の翻訳以前は、主にこちらの意味で演説という語句が使われていた。「説法」「説教」を参照。
歴史上有名な演説
編集- カティリナ弾劾演説
- ローマが人類に残した教訓(ローマ帝国第4代皇帝 クラウディウス)
- 黄金演説 (1601年11月30日:イングランド女王 エリザベス1世)
- 北条政子の演説(1221年:鎌倉幕府初代将軍 源頼朝御台所・北条政子)
- 鉄血演説(プロイセン首相 オットー・フォン・ビスマルク)
- ゲティスバーグ演説(1863年11月19日:アメリカ合衆国大統領 エイブラハム・リンカーン)
- 超然演説(内閣総理大臣・黒田清隆)
- 蛮勇演説
- 桂太郎弾劾演説(1913年(大正2年)2月5日:衆議院議員・尾崎行雄)
- 共和演説(第1次大隈内閣文部大臣・尾崎行雄)
- 腹切り問答(衆議院議員・浜田国松)
- 粛軍演説(1936年5月7日)/反軍演説(1940年2月2日:以上2つ衆議院議員・斎藤隆夫)
- 総力戦演説(1943年2月18日:ナチス・ドイツ宣伝相 ヨーゼフ・ゲッベルス)
- 鉄のカーテン演説(1946年3月5日:第61・63代イギリス首相ウィンストン・チャーチル)
- 大統領就任演説(1961年1月20日:アメリカ合衆国大統領 ジョン・F・ケネディ)
- ワシントン大行進演説(1963年8月28日:アメリカ合衆国公民権運動指導者 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)
- 自衛隊決起演説(1970年11月25日:作家・三島由紀夫)
- マララ・ユサフザイの国連での演説(2013年7月14日、マララ・デー: 人権活動家 マララ・ユサフザイ)
- 大統領離任演説(2017年1月10日:アメリカ合衆国大統領 バラク・オバマ)
脚注
編集注釈
編集- ^ 日本語のスピーチは演説のことを示すが、英語のspeechはそれも含む話すこと全般を示す。
出典
編集参考文献
編集関連項目
編集- 演説の一覧
- 新年祝賀の儀 ‐ 天皇の新年のあいさつ
- 中国の領導人による新年の演説
- 国王演説 ‐ イギリス
- 国民へのメッセージ
- ロシア大統領の新年の演説(新年の辞)
- Prinsjesdag(オランダ語で王子の日) ‐ オランダで一年の政策概要の演説が行われる。
- 選挙演説
- 所信表明演説、施政方針演説、政府四演説
- 修辞学
- ピリッピカ
- 辻説法
- 説教、フトバ、説教者
- 話芸、講談(講釈)
- 演歌、演歌師
- スピーチライター
- ソープボックス (演説) - 英語圈において、即興で演説をするときに立つ木箱のことから転じて演説自体を指す用語。
- 朗唱法