通遼市
中国内モンゴル自治区の地級市
(通遼から転送)
通遼市(つうりょうし)は中華人民共和国内モンゴル自治区に位置する地級市。旧ジェリム(哲里木)盟の中心で、松遼平原の西の縁、ホルチン(科爾沁)草原と「黄金帯」西遼河沖積平原にある地級市の一つ。漢族を主として蒙古族、回族、満族、朝鮮族などの少数民族を有する。
中華人民共和国 内モンゴル自治区 通遼市 | |
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ホルチン左翼後旗の草原 | |
旧称:遼源県・哲里木盟 | |
内モンゴル自治区の中の通遼市の位置 | |
簡体字 | 通辽 |
繁体字 | 通遼 |
拼音 | Tōngliáo |
カタカナ転写 | トンリャオ |
モンゴル文字 | |
モンゴル語キリル文字 | Тонляо хот |
モンゴル語ローマ字転写 | Tüŋliyou qota |
国家 | 中華人民共和国 |
自治区 | 内モンゴル |
行政級別 | 地級市 |
面積 | |
総面積 | 59,535 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 311 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0475 |
郵便番号 | 028000 |
ナンバープレート | 蒙G |
行政区画代碼 | 150500 |
歴史
編集行政区画
編集通遼市の地図 |
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年表
編集内モンゴル自治区ジェリム盟(1949年-1953年)
編集- 1949年10月1日 - 中華人民共和国内モンゴル自治区ジェリム盟が成立。通遼県・開魯県・フレー旗・ナイマン旗・ジャルート旗・ホルチン左翼中旗・ホルチン左翼後旗が発足。(2県5旗)
- 1950年8月2日 - ジョーオダ盟アルホルチン旗の一部が開魯県に編入。(2県5旗)
- 1951年2月22日 - ジョーオダ盟アルホルチン旗の一部が開魯県に編入。(2県5旗)
- 1951年7月17日 - 通遼県の一部が分立し、通遼市が発足。(1市2県5旗)
- 1952年12月4日 - ジョーオダ盟アルホルチン旗の一部がジャルート旗に編入。(1市2県5旗)
- 1953年1月23日 - ジェリム盟がヒンガン盟・フルンボイル・ヌン・モルン盟と合併し、東部行政公署の発足により消滅。
通遼市(第1次)
編集- 1953年5月10日 - 東部行政公署通遼市が地級市の通遼市に昇格。(1市)
- 1954年5月21日 - 通遼市がジェリム盟に編入。
内モンゴル自治区ジェリム盟(1954年-1969年)
編集- 1954年5月21日 - 通遼市、東部行政公署通遼県・開魯県・フレー旗・ナイマン旗・ジャルート旗・ホルチン左翼中旗・ホルチン左翼後旗を編入。ジェリム盟が成立。通遼市が県級市に降格。(1市2県5旗)
- 1956年2月23日 - 吉林省長嶺県の一部がホルチン左翼中旗に編入。(1市2県5旗)
- 1957年7月20日 - 遼寧省錦州専区彰武県の一部がフレー旗に編入。(1市2県5旗)
- 1958年11月21日 - 通遼県が通遼市に編入。(1市1県5旗)
- 1964年7月20日 - 通遼市の一部が分立し、通遼県が発足。(1市2県5旗)
- 1965年9月22日 - フルンボイル盟ホルチン右翼中旗を編入。(1市2県6旗)
- 1969年7月5日 - 内モンゴル自治区の分割により、吉林省ジェリム盟となる。
吉林省ジェリム盟
編集内モンゴル自治区ジェリム盟(1979年-1999年)
編集- 1980年7月26日 - ホルチン右翼中旗がヒンガン盟に編入。(1市2県5旗)
- 1985年11月9日 - ジャルート旗の一部が分立し、ホーリンゴル市が発足。(2市2県5旗)
- 1986年7月21日 - 通遼県が通遼市に編入。(2市1県5旗)
通遼市(第2次)
編集- 1999年1月13日 - ジェリム盟が地級市の通遼市に昇格。(1区1市1県5旗)
- 通遼市が区制施行し、ホルチン区となる。
産物
編集交通
編集観光地
編集- 莫力廟沙漠水庫(ホルチン区)
- 珠日河牧場(ホルチン左翼中期)
- 大青溝(ホルチン左翼後期)
毎夏8月18日、珠日河草原(珠日河牧場)でナーダムが行われる。[3][4]
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珠日河草原(珠日河牧場)はお祭りムード
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競馬の出発前
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競馬の出発
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競馬の出発後
出身人物
編集脚注
編集- ^ 县级以上行政区划变更情况 - 中華人民共和国民政部
- ^ 内蒙古自治区 - 区划地名网
- ^ 珠日河牧場(百度百科)(中国語)
- ^ 珠日河草原旅游区(携程旅行)(中国語)