貞元親王
日本の皇族。清和天皇の三男。四品上野太守
貞元親王(さだもと/ていげんしんのう)は、平安時代前期から中期にかけての皇族。清和天皇の第三皇子。号は閑院といわれている[1]。
貞元親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 不詳 |
薨去 | 延喜9年11月26日(910年1月10日) |
別名 | 閑院親王 |
官位 | 四品上野太守 |
父母 | 父:清和天皇、母:藤原仲統の娘 |
兄弟 | 陽成天皇、貞固親王、貞元親王、貞保親王、貞平親王、貞純親王、孟子内親王、包子内親王、敦子内親王、貞辰親王、識子内親王、貞数親王、貞真親王、貞頼親王、源長猷、源長淵、源長監、源長頼、源載子 |
妻 | 藤原基経の娘 |
子 | 源兼忠、源兼信、藤原興嗣室 |
経歴
編集伝承
編集千葉県君津市貞元の「貞元親王墓」
編集現在の千葉県君津市には、貞元親王が故あって上総国に下向し、当地で没したとする伝承がある。伝承地は、江戸時代には周淮郡貞元村と呼ばれており、貞元(さだもと)という町名が今に伝わっている。
1678年(延宝6年)に貞元村に建立された貞元親王墓(ていげんしんのうはか)は、1970年9月21日に君津市指定文化財に指定された[3]。
また、貞元出身の歌人、平野峯郎が作詞した君津市立貞元小学校校歌(1963年制定)は、「清和の昔 貞元の みこがおわせし この郷に」から始まる歌詞となっている[4]。
「滋野氏の祖」説
編集信濃国から発祥した滋野氏(およびその末裔を称する海野氏・根津氏・望月氏など)の発祥については諸説あるが、その中に清和天皇と系譜を結びつけるものがある。
『群書系図部集』では、貞元親王を滋野氏の祖と記している。なお、滋野氏の祖については貞保親王(清和天皇第四皇子)に求めるものなど諸説ある。
長野県東御市本海野の白鳥神社は、主祭神を日本武尊とするが、貞元親王・善淵王・海野広道公を滋野氏・海野氏の祖先として祭る。
官歴
編集注記のないものは『日本三代実録』による。
系譜
編集『尊卑分脈』による。
脚注
編集関連項目
編集- 開善寺 (長野市)(貞元親王が開基とされる)