豊田勝蔵
豊田 勝蔵(とよだ[1] / とよた[2] かつぞう、1882年(明治15年)12月27日[3] - 1939年(昭和14年)11月23日[1])は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選福井県知事、樺太庁長官、台湾総督府内務局長、萩市長を歴任。
経歴
編集山口県出身。豊田三蔵の長男[2]。旧制山口高等学校を経て、1908年東京帝国大学法科大学法律学科卒業。内務省に入省し、埼玉県属となる。1909年11月、文官高等試験行政科試験に合格[2][4]。
以後、鹿児島県事務官、同理事官、秋田県警察部長、静岡県警察部長、台湾総督府警務官、台北高等商業学校長兼総督府参事官などを歴任[2]。
1924年7月、福井県知事就任。郡役所廃止後に備えた吏員講習所の設置、県営印刷所の設置、自作農創設の新政策の実施などを推進した[2]。1926年8月、樺太庁長官に転任[5]。1927年7月、台湾総督府内務局長に転じ、1929年8月まで務めて退官した[6]。その後、1932年に地元山口県の萩市長となった[3]。
1939年11月23日没。享年56歳。
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
- 人事興信所編『人事興信録』第10版 下、1934年。
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