豊川町 (函館市)
北海道函館市の地名
豊川町(とよかわちょう)は、北海道函館市にある町丁。郵便番号は040-0065。
豊川町 | |
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町丁 | |
北緯41度45分56秒 東経140度43分14秒 / 北緯41.76556度 東経140.72056度座標: 北緯41度45分56秒 東経140度43分14秒 / 北緯41.76556度 東経140.72056度 | |
都道府県 | 北海道 |
市町村 | 函館市 |
人口情報(2020年[1]) | |
人口 | 801 人 |
世帯数 | 454 世帯 |
面積(2020年[1]) | |
0.2 km² | |
人口密度 | 4005 人/km² |
郵便番号 | 040-0065 |
市外局番 | 0138 |
ナンバープレート | 函館 |
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概要
編集函館市の旧市街地が乗る砂州上の函館港寄りにあり、函館山の最も根元にある町丁で、旧函館郵便局(現・はこだて明治館)や函館市水産物卸売市場がある地域である。
1965年(昭和40年)に地蔵町のすべて、西川町、宝町、船場町、恵比寿町の各一部を合わせて成立した[2]。
旧町丁の概要
編集- 地蔵町
読み方は「じぞうまち」[3]。延命地蔵堂があったことより名付けられ、1791年(寛政3年)にはあった古い地名である[4]。かつてあった掘割に永国橋(栄国橋,異国橋)が架かっていて、旧幕府軍の幹部土方歳三が戦死した場所の候補の一つとされている(異国橋説)。出典は島田魁、中島登[5]。
- 西川町
→詳細は「大手町 (函館市) § 旧町丁の概要」を参照
- 宝町
1875年(明治8年)4月、義倉(政府が貯蔵米を保管していた倉庫)を高砂町に移した跡に作った町。高田屋の米倉も多く存在していた。1878年(明治11年)7月10日に公立小学校の宝学校(宝小学校)が開校した。校内では1881年(明治14年)1月23日に初の函館区会議員選挙が行われ、第1回函館区会が開かれた(同年4月5日 - 7月10日、函館市議会発祥の地)[6]。
- 船場町
1803年(享和3年)に函館奉行が地蔵町沖を、その隣を高田屋嘉兵衛も埋め立てて造船所を作った地である。古築島と言われている[7]。1872年(明治5年)8月26日に9番地(現・末広町)に「函館気候測量所(現・函館地方気象台)」が設置され観測が開始されたが1879年(明治12年)6月6日に高砂町19番地(現・若松町)に移転した[8]。
主な施設
編集- 道路
- 公共交通機関
- 港湾施設
- 教育機関
- 宿泊施設
かつてあった主な施設
編集- 公共施設
- 函館区役所→函館市役所本庁舎 - 東雲町へ移転
- 市民館→函館市役所第1仮庁舎→市立函館保健所 - 五稜郭町へ移転
- 函館競輪場十字街場外車券売場(市立函館保健所と同じ建物) - 末広町へ移転
脚注
編集- ^ a b 北海道函館市豊川町 (012020130) - 国勢調査町丁・字等別境界データセット
- ^ 函館=その歴史・史跡・風土= p106 須藤隆仙 南北海道史研究会 1975年
- ^ "まちづくりセンター活動日記『箱館写真の会 写真展「地蔵町を知ってますか」(2019.6)』" 函館市地域交流まちづくりセンター 2022年3月20日更新 2024年8月11日閲覧
- ^ 新編=函館町物語 p.60
- ^ 箱館戦争のすべて p.216
- ^ 新編=函館町物語 pp.59-60
- ^ 新編=函館町物語 p.58
- ^ "沿革「日本最初の気象観測所」" 函館地方気象台 2024年7月26日閲覧
- ^ "ラビスタ函館ベイ" はこぶら 2024年7月22日閲覧
参考文献
編集- 新編=函館町物語 元木省吾 幻洋社 1987 ISBN 4906320023
- 箱館戦争のすべて 須藤隆仙・編 新人物往来社 1984 ISBN 4404012470
- 函館=その歴史・史跡・風土= 須藤隆仙 南北海道史研究会 1975