諸葛均
諸葛 均(しょかつ きん、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。本貫は徐州琅邪郡陽都県。呉の諸葛瑾、蜀漢の諸葛亮の弟。
諸葛均 | |
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後漢 長水校尉 | |
出生 |
生年不詳 徐州琅邪郡陽都県 |
拼音 | Zhūgĕ Jūn |
主君 | 劉備 |
事績
編集『三国志』蜀書に兄の諸葛亮の伝があり、その中に諸葛均についての記述も見られる。幼い時に父の諸葛珪を亡くしたため、諸葛亮と共に従父の諸葛玄を頼った。諸葛玄は袁術から豫章太守に任じられ、2人を連れて同地へ赴任した。
後に出仕したが、長水校尉の官に昇ったことしか定かではない。それも劉備・劉禅父子に仕えた諸葛亮の伝に記述されることから、諸葛均も兄に続いたことは推定される。しかし劉備は章武元年(221年)に蜀漢の皇帝として即位するが[1]、諸葛均がその時代を跨ぐのかも不明となっている。
清の張澍が著した『編集諸葛忠武侯文集自序』には、諸葛均には諸葛望という子がいたこと、妻は南陽郡の人で、林氏または習氏であったことが記されている。
三国志演義
編集羅貫中の小説『三国志演義』では、南陽郡で諸葛亮と共に農耕を営み(第36回)、劉備との初対面時には兄と間違われる(第37回)。
諸葛亮は劉備の三顧の礼に応じると諸葛均に対し、自身が功を成して家に戻るまで田畑を守るよう命じた(第38回)。その後の動向は不明。
家系図
編集諸葛豊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
? | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
諸葛珪 | 諸葛玄 | 龐徳公 | ? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
諸葛瑾 | 諸葛亮 | 諸葛均 | 女 | 龐山民 | 龐統 | 龐林 | 諸葛誕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
諸葛恪 | 諸葛喬 | 諸葛融 | 諸葛瞻 | 諸葛懐 | 諸葛望 | 龐宏 | 諸葛靚 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
諸葛攀 | 諸葛尚 | 諸葛京 | 諸葛質 | 諸葛恢 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
諸葛顕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出典
編集脚注
編集- ^ 『三国志』蜀書 先主伝