誤用
誤用(ごよう、英語:Misuse)とは、通常言葉について言われ、ある言葉の伝統的・慣用的な意味や用法とは異なる、間違った意味や用法でその言葉が使用されることを言う[1]。
一方で、「間違っている」からといって、その存在理由の検討をしなくていいというわけでなく、成立してから現在までに、全く変化がなかった言語はおそらく一つもなく、当初は「誤用」や「ことばの乱れ」として異端扱いされても、その蓄積により現在の姿になっているのであるから、どの言語も「誤りのかたまり」のようなものである[2][3]、とみなす立場がある。
言葉や単語の意味における誤用以外に、ある特定の目的や用途を持つ物品や道具などが、本来の用途以外の目的などで使用される場合にも誤用ということがある。
概説
編集言葉の後天性
編集人間において、言語の普遍的な構造は先天的なものであるが[4]、個別言語が存在することからもわかるとおり、現実に使用される言語は後天的に学習され[5]、フェルディナン・ド・ソシュールが述べたとおり、シニフィエ(言葉・記号の概念=意味内容)とシニフィアン(知覚可能な記号の形態[6])の間の関係は恣意的である[7] [8]。
人間にとって言語を習得することは、それに必要な言語習得能力は先天的で共通のものとはいえ、ひとりひとりが個別的に文法構造や単語や、その単語の意味・用法を学習する過程になる[5]。
イヌとネコがどう違うのかは、言葉(記号)それ自体を学習・記憶する過程と同時に、それと関連づけられている画像や実物を見ることや(あるいは他の感覚で提示されることや)、その語がどのような文脈・規則の中で使われているのか、使用例を聞いたり読んだりすることで学習されてゆく[9] [10]。
言語習得過程では、子供は非常に多数の言葉の「誤用」を行うが、経験を積むに連れ、誤用は減っていく[9]。
誤用が起きる原因
編集人が成人したという場合に、その言語における日常的な使用法については、「正しい用法」を習得しているということが暗黙で認められている[10]。しかし、成人においても、言語習得過程で間違って覚えた言葉の意味や用法が残っていることがあり、また、使用したことがない言葉や専門的な言葉などについては、その言葉の意味や用法で、知識の欠如や言葉の独自な解釈などから間違った理解が生じることがあり、この場合は誤用となる。
あるいは、似たような言葉と混同することで誤用が生じたり、新しく造語された言葉や外来語・新語などの場合は、意味や用法をよく理解していないにもかかわらず、他者が使っていることで自身もそれに倣った結果として、誤用となることもある。専門的な分野などの術語(term)などでは、専門的な前提知識の理解が不足しているにもかかわらず、よく理解しないままに言葉を使うことで誤用が生じることがある。近年ではマスメディアの発達と影響により、誤用に当たる用法の方がまたたく間に広まり、本来の正しい意味で使われなくなったり、逆に通じにくくなるといった現象が頻繁に起きている。
意図的な誤用、あるいは文学的な意図に基づく造語や新語の発明があるが[11]、ジョイスが使ったものは、意図的な造語であり誤用ではない[12]。
誤用の例
編集日本語などの場合では、漢字で表現される言葉が多く、表意文字として漢字自体に固有な意味があるので、二つ以上の漢字からなる言葉について、個々の漢字の意味から類推して言葉の意味を理解する、あるいは想定するということがあり、正しい理解になる場合と、間違った理解になって誤用を導くことがある。例えば、近年「性癖」という言葉を、「性的な癖」と考えて、性的嗜好の意味で使う誤用が生じているが、これは漢字の意味から類推して間違った意味理解が生じたと考えられる(性癖とは、癖と同じ意味の言葉である[13])。
英語やフランス語などでも、ラテン語やギリシア語などから来る、「接頭語+語幹+接尾語」というような形で単語が構成されていることがあり、ここから複雑な単語の意味を類推することが可能であるが、このような方法がうまく行く場合もあれば、意味の取り違えて誤用となる場合がある。例えば、defuse と diffuse は、前者は、de + fuse で、後者は、dis + fuse であるが、接頭辞が同じラテン語起源で似たような意味であっても、英語では同じ綴りになる「fuse」が語源的には別の意味の言葉である。発音的にも「ディフューズ」のような音で、後ろの「フューズ」にアクセントがあるために、両者の混同が生じて誤用となっているという例がある。
また、古典的な例では、意図的な造語であり、かつ現在では誤用でないが、語源了解で誤解が起こり得る言葉に、トマス・モアが造語した Utopia(ユートピア)がある。元は、「ou + topos + ia」で、「存在しない場所」の意味であるが、ギリシア語の接頭辞に「良い」を意味する eu があり、発音においては、英語ではどちらも「ユー」のような音の為、Utopia を、EUtopia と解釈して、意味としては間違いではないが語源としては勘違いを誘導していることがある(ユートピアは「理想郷」という意味に理解され、「良い場所=eu+topia」がこの解釈に合致する)。トマス・モア自身が、冗談で Eutopia という言葉をこの作品の序詩において示唆しているので、余計に間違いが起こりやすい[14]。
言語学的意味
編集言葉の誤用は、個別言語学における通時的変異の一つの重要なファクタである。意味・用法において、他言語との接触を通じ、あるいはそれ自身において誤用が蓄積されて行くことで言語は意味論的に変異して行く。しかし、これと平行するようにも思える発音における変異は、音素の体系を維持した遷移である。音素に結びつく物理的な音は変異するが、その体系は使用集団で協約される[15]。記号が何を指示しているのか、その広がりは通時的には発達したり、縮小したり、ときに消失する。この過程に誤用が存在するにしても、協約が維持されない限りは淘汰される。個別言語は分化・発達において変異するにしても、規則的に体系を維持する。この結果、印欧語においては、音素におけるグリムの法則などが成立したと言える[16]。
脚注
編集- ^ 大辞林第二版「誤用」 2009年10月28日閲覧。
- ^ 中山英普「原義とは異なる意味で使われる「誤用」例についての考察」(目白大学人文学研究 2016 第12号、p.p.221-233)
- ^ 田中克彦「ことばの差別」(農山漁村文化協会 1980、p.p.50)
- ^ 「IV 言葉・表現・思想」『岩波講座哲学・言語』、pp.137-139。チョムスキーは、個々の言語(個別言語)に共通する「普遍構造」を前提し、これを深層構造と呼ぶ。
- ^ a b 「III 思考と言語」『岩波講座哲学・言語』、p.101。この章の筆者大出晃は、「先天的」ではなく、「本能的」と述べている。
- ^ すなわち、聴覚イメージなど。
- ^ 「IV 言葉・表現・思想」『岩波講座哲学・言語』、p.150。「記号の恣意性」。
- ^ 「IV 言葉・表現・思想」『岩波講座哲学・言語』、p.151。「シニフィエとシニフィアン」。
- ^ a b "Preshool education, - Modern theories". Encyclopaedia Britannica. Jean Piaget は発達の第二段階において、幼児にとって、単語とシンボル(記号)は外的物象と内的な感覚(イメージ)を表象する手段となると主張し、またこの段階で幼児は試行錯誤を繰り返す(言葉と事物、言語と論理における関係の学習と構造の構成)。ここからピアジェは更に、論理的構造の獲得、操作の群的構造の成立と「均衡」の理論を提唱する。参照:ジャン・ピアジェ『思考の心理学』、pp.114-127。
- ^ a b ホワットモー『言語』、p.139。ホワットモーは、「イヌ」とか「ネコ」とは述べていない。「協約を学ぶこと」が彼の述べていることである。「協約」とは、ある集団のなかで、イヌをdogと呼び、catとは呼ばないことである。ホワットモーはフィリピンのタガログ語話者の例で説明している。
- ^ "Nonce word", Encyclopaedia Britannica, ジョイムズ・ジョイスが Finnegans Wakeで、この類の語を使用した。
- ^ C・G・ユング『ユング著作集3』、「ユリシーズ」、pp.135-178。
- ^ 大辞林第二版「性癖」 2009年10月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ "More, Sir Thomas, - Early life and career. Encyclopaedia Britannica. 次のようにブリタニカは説明している: ""Utopia is a Greek name of More's coining, from ou-topos (“no place”); a pun on eu-topos (“good place”) is suggested in a prefatory poem.--""
- ^ ホワットモー『言語』、pp.248-249。
- ^ ホワットモー『言語』、pp.379-381。「言語発達の規則性」。
参考文献
編集- 服部四郎・沢田允茂他編『岩波講座哲学 XI・言語』岩波書店 1971年
- ジョシュア・ホワットモー『言語』岩波書店 1960年、1969年
- ジャン・ピアジェ『思考の心理学』みすず書房 1968年、1969年2刷
- C・G・ユング『ユング著作集3・こころの構造』日本教文社 1970年改版、1975年5版
- Encyclopaedia Britannica, 2005 CD Version