西平郡
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鄯州西平郡
編集本節では、現在の青海省北東部に設置された西平郡について述べる。後漢の建安年間、金城郡を分割して西平郡が立てられた。郡治は西都県に置かれた。
晋のとき、西平郡は涼州に属し、西都・臨羌・長寧・安夷の4県を管轄した[1]。
北魏のとき、西平郡は鄯善鎮と改められた。526年(孝昌2年)、鄯善鎮は鄯州と改められた[2]。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、楽都郡は廃止されて、鄯州に編入された。607年(大業3年)、隋により州が廃止されて郡が置かれると、鄯州が西平郡と改称された。西平郡は湟水・化隆の2県を管轄した[3]。
619年(武徳2年)、唐が薛挙を平定すると、西平郡は鄯州と改められた。742年(天宝元年)、鄯州は西平郡と改称された。758年(乾元元年)、西平郡は鄯州と改称され、西平郡の呼称は姿を消した[4]。
寧州西平郡
編集本節では、現在の広西チワン族自治区西部に設置された西平郡について述べる。東晋の咸和年間、興古郡の東部を分割して西平郡が立てられた。西平郡は寧州に属し、郡治は西平県に置かれた。
南朝宋のとき、西平郡は西平・温江・都陽・晋綏・義成の5県を管轄した[5]。
南朝斉のとき、西平郡は西平・暖江・都陽・西寧・晋綏・新城の6県を管轄した[6]。
南朝梁のとき、この西平郡は廃止された。