藤本捨助
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藤本 捨助(ふじもと すてすけ、1894年〈明治27年〉12月12日 - 1963年〈昭和38年〉9月11日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員を5期つとめた。
藤本捨助 | |
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生年月日 | 1894年12月12日 |
出生地 | 香川県大川郡引田町 |
没年月日 | 1963年9月11日(68歳没) |
死没地 | 香川県高松市 |
出身校 | 東北帝国大学法学部 |
前職 | 高松高等商業学校教授 |
所属政党 |
(中立倶楽部→) (翼賛政治体制協議会推薦→) (改進党→) (日本民主党→) (自由民主党) |
親族 | 藤本孝雄(子) |
経歴
編集1894年(明治27年)12月香川県大川郡引田町生まれ。1917年(大正6年)香川師範学校卒業、1922年(大正11年)東京高等師範学校卒業、1928年(昭和3年)東北帝国大学法学部卒業後、高松高等商業学校教授。
1936年(昭和11年)に第19回衆議院議員総選挙に立候補するが落選。1937年(昭和12年)第20回衆議院議員総選挙で香川1区から初当選、1942年(昭和17年)に第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)で再選を果たす(翼賛政治体制協議会推薦)。1945年(昭和20年)5月には鈴木貫太郎内閣農商参与官に就任。
1946年(昭和21年)、他の翼賛選挙推薦議員同様公職追放[1]、1951年(昭和26年)追放解除[2]。戦後は改進党から衆議院に立候補したが、1952年第25回衆議院議員総選挙・1953年第26回衆議院議員総選挙と落選が続き、改進党が日本民主党に合同した1955年第27回衆議院議員総選挙で国政復帰。保守合同後は自由民主党に所属し、1958年第28回衆議院議員総選挙、1960年(昭和35年)第29回衆議院議員総選挙でいずれも当選。1963年(昭和38年)1月には第3代全国療術師協会会長に就任している。1963年9月11日、衆議院議員在職中に死去。
家族
編集脚注
編集参考文献
編集- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年11月)
議会 | ||
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先代 佐々木秀世 |
衆議院社会労働委員長 1957年 |
次代 森山欽司 |