藤原 頼成(ふじわら の よりなり、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。源 頼成とも表記される。藤原北家良門流、讃岐守・藤原伊祐の次男。実は中務卿・具平親王の子。官位は従四位下・因幡守。
中務卿・具平親王が雑仕女の大顔に産ませた庶子だったが、母の身分が低かったために、具平親王の意志で、藤原伊祐の養子とされた。
一条朝末の寛弘8年(1011年)蔵人所雑色に補せられる。その後、後一条朝で阿波守・因幡守などの地方官を歴任した。
『尊卑分脈』による。
娘の祇子は藤原頼通の妾となり、藤原寛子(後冷泉天皇皇后)や摂政・藤原師実らを産んだ。