自己犠牲
自己犠牲(じこぎせい、self-sacrifice)とは、何らかの目的や他者のために、自己の時間・労力・身体・生命をささげること。
概要
編集自己犠牲は、様々な宗教で重視されている。
般若心経では、自己犠牲とは自己を放棄することで、『自我を捨て、無我になる』すなわち自分以外のもの、普遍的世界だとしている。
法華経でも自分の利益を犠牲にして他人の利益を図る『利他心』は当然の真理とし、これほど尊いものはないと教えられる。
キリスト教では約2000年前、イエス・キリストが人類の罪を身代わりに受けるために十字架に架かった、とし、自己犠牲は愛だとされている。
『ヨハネによる福音書』15章13節には「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とある。
生物学に於ける自己犠牲
編集生物一般に於いても、自己犠牲的な現象が見られる場合がある。親が子をかばう行動は多くの動物に見られる。これは親による子の保護の一例である。それ以外にも様々な例があり、一般的に利他的行動と呼ばれる。(行動生態学も参照。)
自己犠牲をテーマにした作品
編集小説
編集宮沢賢治や山本周五郎は、自己犠牲をモチーフにした作品を多く残している。宮沢は法華経に帰依し、山本はクリスチャンだった。三浦綾子もクリスチャンである。
- 『星の王子様』
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』では、王子は小さな薔薇のために命をささげる[1]。
- 『銀河鉄道の夜』
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で自己犠牲は重要なテーマとなっている[2]。主人公のジョバンニは次のようにつぶやく[2]。
僕はもうあのさそりのやうに ほんたうに みんなの幸のためならば 僕のからだなんか 百ぺんやいても かまはない。 — 『銀河鉄道の夜』
銀河を走る鉄道の車窓からは、赤い星「さそり」が見えた[2]。さそりが、それまで他の命をうばって食糧として生きてきた罪を、死の直前に懺悔し「まことのみんなの幸いのために私の体をお使い下さい」と祈ったことで天に召されて星になったのである[2]。このさそりの祈り、そして自らの身体を燃やすことで、闇のような世界を照らし続ける「さそり」の姿によって、自己犠牲的精神が描かれている[2]。
絵本
編集映画
編集漫画
編集自己犠牲に関連する現実世界の出来事の例
編集他者の生命の為に行われた行為
編集- 身体を用いた大事故等の阻止 - 塩狩峠列車暴走事故・打坂地蔵尊
- 危険度の高い難病罹患者への献身 - ダミアン神父・野口英世
- 他者の生命と自己の生命の取引 - 清水宗治・マキシミリアノ・コルベ ・廣枝音右衛門
- 制御不能となった輸送機械の暴走等から他者を救うための死闘 - 杉浦茂峰・T-33A入間川墜落事故・京福電気鉄道越前本線列車衝突事故(2000年)
- 他者の生命を救うために行われた危険を伴う行為 - 新大久保駅乗客転落事故・2007年ときわ台駅踏切事故
- 他者の救助を自己の救助よりも優先させた行為 - エア・フロリダ90便墜落事故(他の生存者に救助ヘリを譲った男性が死亡)
味方の損害を低減又は敵方に損害を与えるために行われた行為
編集脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 宮内寿子,「ケアの倫理における自己犠牲の価値 (PDF) 」『筑波学院大学紀要』 第5集 2010年 p.93-104
- 二宮克美, 井上裕光, 山本ちか, 「A-19 中学生の親の自己決定意識 : 自己優先対自己犠牲の葛藤場面を通して」『日本パーソナリティ心理学会発表論文集』 16巻 2007年 p.54-55, 日本パーソナリティ心理学会, doi:10.24534/amjspp.16.0_54, NAID 110006433841