ホーム
おまかせ表示
付近
ログイン
設定
寄付
ウィキペディアについて
免責事項
検索
羅済同盟
言語
ウォッチリストに追加
編集
羅済同盟
(らさいどうめい)は、
新羅
と
百済
の同盟である
[
1
]
[
2
]
。
第1次羅済同盟(366年 - 4世紀末)
羅済同盟
各種表記
ハングル
:
나제동맹
漢字
:
羅濟同盟
発音
:
ナジェドンミョン
日本語
読み:
らさいどうめい
テンプレートを表示
366年
、百済の
近肖古王
と新羅の
奈勿尼師今
が、
高句麗
に対抗するため同盟を結んだ。
371年
には、近肖古王が
平壌
で高句麗の
故国原王
を戦死させるなどの戦果を挙げた。しかし、
4世紀
末には、新羅が高句麗に接近し同盟は壊れた。
第2次羅済同盟(433年 - 553年)
433年
に、百済の
毗有王
と新羅の
訥祇麻立干
が、高句麗の南進政策に脅威を感じ、軍事的攻守同盟を結んだ。
475年
に高句麗の
長寿王
の攻撃を受けて、百済の首都
漢城
が陥落し
蓋鹵王
も戦死し、いったん百済は滅んだとされる。しかし、
文周王
は新羅の助けにより
熊津
に遷都しており、同盟は以後も続き、
493年
、百済の
東城王
は新羅と婚姻関係を結んだ。
551年
、百済の
聖王
は、百済、新羅、
伽耶
の連合軍により、高句麗から
漢江
流域を取り戻した。しかし、
553年
に新羅の
真興王
は百済から漢江流域を奪い、同盟関係は壊れた。
554年
には、聖王が新羅との戦いで戦死し、以後、百済の滅亡まで両国は敵対関係を続けた。
関連項目
編集
麗済同盟
唐・新羅の同盟
唐の高句麗出兵
唐・新羅戦争
高句麗と倭の戦争
脚注
編集
^
나제동맹
韓国民族文化大百科
^
나-제동맹
야후
!百科事典