織田寛維
日本の戦国時代の武将。尾張於田井城主織田寛故長男で、織田藤左衛門家4代当主。父同様、於田井(小田井)城主を勤めた
織田 寛維(おだ とおふさ)は、戦国時代の武将。通称は藤左衛門尉。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 永正17年(1520年) |
死没 | 天文11年9月21日(1542年10月29日) |
別名 | 通称:藤左衛門 |
戒名 | 天巌以青 |
墓所 | 愛知県名古屋市東雲寺 |
官位 | 従五位下、左兵衛佐、従四位下、越前守 |
氏族 | 織田氏(藤左衛門家) |
父母 | 父:織田寛故 |
兄弟 | 寛維、福富貞嗣室、津田元信室、信張、常知、梁田教貞室 |
略歴
編集清洲三奉行の一つ、織田氏(藤左衛門家)の織田寛故の嫡男として誕生。父の後を継ぎ小田井城主となる。
天文11年(1542年)、大垣城攻めに参戦し、討ち死にした。跡を父・寛故が継ぎ、後に弟・寛廉(信張)が家督を継いだ。
『尾張名所図会』によると、天文14年(1545年)に中小田井にある五所社の境内にある弁天社を造進したとの記述が見える。
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