細川興昶
日本の江戸時代後期の武士。長門長州藩10代藩主毛利治親三男で、常陸谷田部藩7代藩主細川興徳養子。谷田部藩世嗣
細川 興昶(ほそかわ おきのぶ)は、江戸時代後期の常陸国谷田部藩の世嗣。別名に興利(おきとし)。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明5年7月2日(1785年8月6日) |
死没 | 享和2年12月25日(1803年1月18日) |
改名 | 毛利煕和、細川興昶 |
別名 | 細川興利 |
藩 | 長州藩、常陸谷田部藩世嗣 |
氏族 | 毛利氏、谷田部細川家 |
父母 |
実父:毛利治親 養父:細川興徳 |
兄弟 |
毛利斉房、毛利斉熙、興昶、毛利熙載、 水野忠篤、多美ら |
略歴
編集初めは実兄の長州藩主毛利斉熙から偏諱を受けて毛利煕和(もうり ひろかず)を名乗る。谷田部藩7代藩主・細川興徳の養子となって細川興昶を名乗ったが、家督を相続することなく享和2年(1802年)に死去した。代わって、一色丹羽家から興祥が養子に迎えられて嫡子となった。