紀元前409年
年
紀元前409年(きげんぜん409ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前6世紀 - 前5世紀 - 前4世紀 |
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十年紀 |
前420年代 前410年代 前400年代 前390年代 前380年代 |
年 |
前412年 前411年 前410年 紀元前409年 前408年 前407年 前406年 |
当時は、「コッススとメドゥリヌスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元345年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前409年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
編集できごと
編集ギリシア
編集- アルキビアデスがビュザンティオンを奪還し、アテナイへの反乱を鎮圧した。これによってアテナイはボスポラス海峡の支配権を確立し、黒海地方のボスポロス王国からの穀物の補給路を確保した。
- アテナイの将軍トラシュロス (Thrasyllus) が、中規模の軍勢を率いて海を渡り、イオニアへの侵攻を行なった。トラシュロスはたちまちコロポンを陥落させ、イオニアの農村地域を荒らしたが、エペソス郊外で、エペソス、ペルシア、シュラクサイの連合軍に敗れた。
- スパルタのパウサニアスは、父プレイストアナクスを継いで、アギス朝のスパルタ王となった。
- ロドスの町が、創建された。
カルタゴ
編集- シケリア(シチリア)のギリシア植民都市間の紛争と、アテナイとシュラクサイ(シラクサ)の間の消耗戦に乗じて、カルタゴがシチリア島における影響力の拡大に再び乗り出した。ハミルカル (Hamilcar)(第一次シケリア戦争のヒメラの戦いで敗北し、戦死したカルタゴの将軍)の孫ハンニバル・マゴ が、強力な軍勢を立ててシチリア島に侵攻した。ハンニバル・マゴは、シケリアのギリシア勢力を破り、3000人のギリシア人捕虜を虐待、殺害して、祖父の仇を討った。ハンニバル・マゴは、セリヌスとヒメラ を占領し、戦利品を得てカルタゴに凱旋した。
文学
編集- トロイア戦争を主題としたソポクレスの悲劇『ピロクテテス (Philoctetes)』が上演された。
誕生
編集→「Category:紀元前409年生」も参照
死去
編集→「Category:紀元前409年没」も参照
脚注
編集注釈
出典