等価線量
等価線量(とうかせんりょう、英: equivalent dose)とは、放射線防護のための人体の各臓器の被曝線量を表す線量概念を言う。放射線を被曝した人体組織の臓器吸収線量に放射線加重係数[注釈 1]を乗じたものとして定義され、単位はシーベルト(記号:Sv)が用いられる[注釈 2]。
ただし、等価線量は放射線防護量であるので、あくまで確率的影響のリスク制限に用いるためのものである[注釈 3]。そのため、同じく臓器の被曝でも、確定的影響を問題とするような場合は臓器吸収線量(Gy)が用いられる[注釈 4][注釈 5]。
概要
編集放射線被曝による生物影響を考える上で人体組織が放射線から得たエネルギー量である臓器の吸収線量(臓器吸収線量)は重要な指標である。しかしながら、生物影響は同一の臓器吸収線量であっても
- 放射線の種類(アルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線など)
- 放射線を粒子として扱う場合[注釈 6]におけるその粒子のエネルギー(中性子、陽子のみ)
が異なればその影響も異なってくるため、放射線の生物影響の尺度としてそのまま用いることはできない[4]。
ガンマ線・X 線による生物影響を基準とした生物学的効果比(Relative Biological Effectiveness; RBE)を吸収線量に掛け合わせる[注釈 7]ことで、放射線の種類の違いを平準化した線量が古くから提案されてきた[注釈 8]。しかしながら、RBE に関する十分なデータが存在しなかったことから、RBE に代わって線エネルギー付与(Linear Energy Transfer ; LET)を用いて補正係数である線質係数(quality factor)とそれを空間のある一点における吸収線量に掛け合わせた線量当量(dose equivalent)が1977年のICRP勧告にて定義された[2]。
ところが、放射線防護上関心のあるのは、ある一点における吸収線量ではなく、組織・臓器全体の吸収線量である[5]。線量当量という概念は、被曝を受けたのが特定の組織であるのか、あるいはいくつか複数の組織なのかが常に曖昧であるという弱点がある[6]。そこで、ICRP1990年勧告においては防護量としての線量当量概念の大幅な見直しがなされ、ある一点ではなく臓器の全体が受けた線量の平均臓器吸収線量の係数として放射線加重係数(radiation weighting factor)とそれで平均臓器吸収線量を加重した等価線量(equivalent dose)が改めて定義された[注釈 9][注釈 10]。
定義
編集放射線 R の人体の臓器 T[注釈 11] に対する等価線量は以下のように定義される。
(臓器 T の等価線量) HT = (臓器 T の平均吸収線量) DT × (放射線 R の放射線加重係数) wR
[HT] = Sv、[DT] = Gy、[wR] = 1
放射線加重係数(radiation weighting factor)
編集算出に用いられる放射線加重係数は、放射線の種類によって値が異なり、X線、ガンマ線、ベータ線は 1、 陽子線は 5、 アルファ線は 20、 中性子線はエネルギーにより 5 から 20 までの値をとる。
放射線加重係数は、国際放射線防護委員会1990年勧告[9]による下表のものが広く使用されている。なお、2007年に新しく発表された勧告では、中性子の放射線加重係数として、線量計算の実用的観点から連続関数が導入されている[10]。
放射線の種類(R) | エネルギー(E)範囲 | 放射線加重係数 | 線質係数 |
---|---|---|---|
光子 (電磁波、X線、ガンマ線など) | 全エネルギー | 1 | 1 |
軽粒子(電子、ミュー粒子など) | 全エネルギー | 1 | 1 |
中性子 | E < 10 keV | 5 | 10 |
10 keV < E < 100 keV | 10 | 10 | |
100 keV<E < 2 MeV | 20 | 10 | |
2 MeV < E < 20 Mev | 10 | 10 | |
20 Mev < E | 5 | 10 | |
陽子 | 反跳陽子を除く,2 MeV < E | 5 | 10 |
α粒子、核分裂片、重原子核 | 20 | 20 |
- 1 Sv = 1000 mSv(ミリシーベルト) = 1000000 μSv(マイクロシーベルト)
等価線量限度(equivalent dose limits)
編集臓器 T の等価線量をある特定の期間中で積み上げたものの限度の量を等価線量限度(equivalent dose limits)と呼ぶ。なお、臓器に対して定義される等価線量限度は、個人の身体全体に対して定義される実効線量限度とは別の概念である。
職業被曝(occupational exposure)
編集日本の法律においては、放射線業務従事者の2つの臓器(眼の水晶体、皮膚)及び妊娠中女性従業員の腹部表面などの一年間に受ける等価線量の限度について定められている。電離則第四条-第七条
線量当量
編集線量当量(せんりょうとうりょう、英: dose equivalent)とは、人体の被曝線量を表す線量概念の一つである。線量当量の単位はシーベルト(記号:Sv)が用いられる。ICRPは1990年勧告で等価線量に置き換えるまで防護量(protection quantity)の尺度として扱った。線量当量と等価線量の定義上の大きな違いは、線量当量がある一点に対して定義されるものであるのに対して、等価線量は臓器に対して定義される点である。概念的に等価線量の方が線量当量よりも放射線防護量としては適切であるが、等価線量自体をそのまま計測することは困難である。そのため、モニタリングにおける放射線計測の実用量として用いられる。国際放射線単位測定委員会(ICRU)によってモニタリングに用いられる諸量が定められている。
定義
編集吸収線量に線質係数を掛け合わせたもの[注釈 12]を線量当量(dose equivalent)と呼ぶ。
(線量当量) H = (吸収線量) D × (線質係数) Q
[H] = Sv、[D] = Gy、[Q] = 1
モニタリングの実用量としての線量当量
編集モニタリング(monitoring)とは、放射線防護の目標が達成されているか否かを判断するために行われる放射線あるいは放射能の測定と、測定結果の解釈・評価を含む一連の行為をいい、放射線管理上の基本的な行為である[11][注釈 13]。放射線防護量としての等価線量や実効線量は直接測定することができないため、直接測定できる実用量として線量当量が用いられる。
モニタリングに用いられる線量当量としては以下のように環境モニタリングと個人モニタリングにそれぞれ関連したものが定義される[12][13][注釈 14]。
- 環境モニタリングに用いられるもの[注釈 15]
-
- 周辺線量当量(ambient dose equivalent)H*(d)
- 方向性線量当量(directional dose equivalent)H'(d,Ω)
- 個人モニタリングに用いられるもの
-
- 個人線量当量(personal dose equivalent)Hp(d)
モニタリングの実用量と法令上の線量概念との対応
編集対象モニタリング | 防護量 | 実用量 | 実用量の法令上の名称 |
---|---|---|---|
環境モニタリング | 実効線量 | 周辺線量当量 H*(10) | 1 cm線量当量 |
個人モニタリング | 実効線量 | 個人線量当量 Hp(10) | 1 cm線量当量 |
※1 1 cm線量当量は実効線量に対応する実用量である。
※2 なお、法令に従ったモニタリング業務において「空間線量」という言葉は、環境モニタリングにおける1 cm線量当量(周辺線量当量 H*(10) )を意味するとされる[16]。
対象モニタリング | 防護量 | 実用量 | 実用量の法令上の名称 |
---|---|---|---|
環境モニタリング | 眼の水晶体の等価線量 皮膚の等価線量 |
方向性線量当量 H'(3,α[注釈 18]) 方向性線量当量 H'(0.07,α) |
なし 70 μm線量当量 |
個人モニタリング | 眼の水晶体の等価線量 皮膚の等価線量 |
個人線量当量 Hp(3) 個人線量当量 Hp(0.07) |
なし 70 μm線量当量 |
補足定義
編集線エネルギー付与(LET:Linear Energy Transfer)
編集荷電粒子放射線の単位長さあたりのエネルギー損失量[注釈 19] を線エネルギー付与(LET;Linear Energy Transfer)と呼ぶ[注釈 20]。電荷の無いガンマ線や X 線、中性子線には本来適用できないが、物質との相互作用によって発生する荷電粒子線(二次線)に適用したものをその中性の放射線の LET としている。
- 低 LET 放射線と高 LET 放射線の分類
- 放射線による生物影響を考えるにあたって、放射線は LET の大きさで低 LET 放射線と高 LET 放射線の二つに分類される。
生物学的効果比(RBE:Relative Biological Effectiveness)
編集放射線の線質(放射線の種類、エネルギー)が異なると、同じ線量を与えても生物効果の程度は大きく異なる[19][20]。そこで線質の異なる放射線の作用を比較するにあたっては、基準放射線と呼ばれる基準の放射線を定めた上で、次の式で定義される生物学的効果比(RBE:Relative Biological Effectiveness)が用いられる。
- RBE = (ある生物効果を引き起こすに必要な基準放射線の線量) / (問題としている放射線で同じ効果を引き起こすに必要な線量)
基準放射線としては、250 keVの X 線が用いられることが多い[21][注釈 23]。
なお、一般に高 LET 放射線の RBE は1よりも大きくなる。
その他
編集- 生物学的等価線量 (Biological Equivalent Dose, BED) は、「等価線量」と名前に付くが、本記事で解説される等価線量とは全く異なる概念である。
脚注
編集注釈
編集- ^ weighting factorの日本語訳は、1990年勧告では"荷重係数"とされたが、weightは"加重"であり、"荷重"はloadであることから、2007年勧告にて"加重係数"に変更された[1]。この記事では"加重係数"に統一する。
- ^ 防護線量概念としては、1990年のICRP勧告にてそれまで使用されていた線量当量(dose equivalent)に代わって用いられるようになった[2]。
- ^ 等価線量はあくまで線量限度内で用いられるべき線量概念である[3]。
- ^ そのため、閾線量はGyで表示される。
- ^ なお、放射線医学における医療被曝では、統一的に扱うため、診断に用いられる数 mGyから治療に用いられる数10 Gyまですべて臓器吸収線量で表される。
- ^ 電磁波(ガンマ線、X線)などは量子力学的効果(光電効果、コンプトン散乱など)を考えなければ、電磁気学的な波動であり粒子(光子)として扱う必要は無い。
- ^ 低線量被曝においては主にガンが問題となることからガンの RBE を吸収線量に掛け合わせた線量がまず考えられた。ただし、その当時はガンの RBE に関する十分なデータが無かった。
- ^ 例えば、ICRUの1962年の報告書より以前においては RBE dose と呼ばれる線量概念が参考程度に定義されていた。
- ^ 等価線量は臓器に対して定義されたものであるからか、計測においては放射線加重係数と等価線量は用いられず、線質係数と線量当量が用いられる。実際 ICRU においては未だ線量当量で定義されている。
- ^ なお、放射線のリスクに関連した線量概念である実効線量(effective dose)は各臓器の組織加重係数にそれぞれの等価線量を掛け合わせたものの総和であり、単位は同じシーベルト(記号:Sv)であるが等価線量とは別の概念である。
→詳細は「実効線量」を参照
- ^ T は変数であり、数学のように T = 甲状腺 と書き表すことにすれば、これは HT → H甲状腺(甲状腺に受けた放射線の等価線量)ということである。つまり、H甲状腺 は甲状腺の等価線量ということになる。
- ^ なお、修正係数 M が掛け合わされることもあるが、大抵は M=1 として扱われるため省略する。
- ^ 例えば、電離則(第八条)における線量の測定はモニタリング行為である。
- ^ フィルムバッジなどはJIS規格が定まっており[14]、JIS規格を満たしているということをもって正確に定義を満たした(または等価な)実効線量または等価線量の実用量を計測しているということが担保されるので、法令上の計測方法を遵守していると主張できる(その立証責任はJISが持つことになる)。
- ^ 周辺線量当量、方向性線量当量の定義において、ICRU球と呼ばれる直径30cmの球体が用いられるが、この球体を用いて計測した線量当量がなぜ実効線量につながるのかという理由について知りたい場合は、グリーニング(1988) pp.152-153 参照。
- ^ 空間線量測定マニュアル[15]から抜粋
- ^ 空間線量測定マニュアル[15]から抜粋
- ^ ここでαは方向性線量当量の値が最大となる方向であり、決まった角度ではない。すなわち、実質的に実務として方向性線量当量の角度変数は用いない。
- ^ 言い換えれば荷電粒子放射線がその飛程の単位長さあたりにまわりの物質に与えるエネルギー量
- ^ LET は荷電粒子放射線の電荷の二乗に比例し、その速さにほぼ反比例する[17]。
- ^ 一次線(ガンマ線、X 線そのもの)と物質との相互作用によって発生する二次線が電子線
- ^ なお、高LET放射線による傷害の原因の大半は直接作用であるとされる[18]。
- ^ 文献によっては、200 kVp の X 線で水中のLETが 3 keV/μm、線量率 0.1 Gy/minを基準放射線としているものもある[20]。
出典
編集- ^ ICRP 2007.
- ^ a b 草間 1995, p. 44.
- ^ 草間 2005, pp. 11, 22.
- ^ 草間 1995, pp. 42–45.
- ^ 辻本 2001, pp. 48–49.
- ^ グリーニング(1988) p.152
- ^ 例えば、電離則第四条-第七条など
- ^ 草間 2005, pp. 22–23.
- ^ 放射線審議会 基本部会 (2010年1月). “国際放射線防護委員会 (ICRP) 2007年勧告 (Pub. 103) の国内制度等への取入れに係る審議状況について 中間報告” (PDF). 文部科学省. p. 8. 2011年5月4日閲覧。
- ^ 吉澤道夫. “ICRP 新勧告による外部被ばく線量評価” (PDF). 2011年7月12日閲覧。
- ^ アイソトープ協会 1992, pp. 166–172.
- ^ 草間 2005, pp. 19–20.
- ^ 保健 2002, pp. 5–6.
- ^ 辻本 2001, p. 56.
- ^ a b 保健 2002, p. 4, 表2.3.
- ^ 保健 2002, p. 2.
- ^ a b 草間 1995, p. 27.
- ^ 放射線のDNAへの影響
- ^ アイソトープ協会 1992, pp. 128–130.
- ^ a b 辻本 2001, p. 48.
- ^ アイソトープ協会 1992, p. 129.
参考文献
編集- 国際放射線防護委員会勧告 ICRP Publication 26. 国際放射線防護委員会. (1977) 日本語版PDFあり
- 国際放射線防護委員会の1990年勧告 ICRP Publication 60. 国際放射線防護委員会. (1991) 日本語版PDFあり
- 国際放射線防護委員会の2007年勧告 ICRP Publication 103. 国際放射線防護委員会. (2007) 日本語版PDFあり
- 草間 朋子、甲斐 倫明、伴 信彦『放射線健康科学』杏林書院、1995年。
- 日本保健物理学会(編) 編『空間線量測定マニュアル』日本アイソトープ協会、2002年。
- 被ばく線量の測定・評価マニュアル(外部被ばくについて), (2001)
- 辻本 忠、草間 朋子『放射線防護の基礎』(第3版)、2001年。
- 草間 朋子『あなたと患者のための放射線防護 Q&A』(改訂新版)医療科学社、2005年 。
- 日本アイソトープ協会(編) 編『放射線・アイソトープ 講義と実習』丸善、1992年。
- 線量(第2回), (2012)
- 線量(第4回), (2013)
- 吉澤 道夫; 辻村 憲雄 (2001), 被ばく線量の測定・評価マニュアル(外部被ばくについて)
- 草間 朋子『あなたと患者のための放射線防護 Q&A』(改訂新版)医療科学社、2005年 。
- グリーニング(J.R.Greening) 著、森内 和之, 高田 信久(訳) 編『放射線量計測の基礎』地人書館、1988年。
- 測定値(空気中放射線量)と実効線量, 日本原子力学会, (2012)