第38軍 (日本軍)
第38軍(だいさんじゅうはちぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つ。
第38軍 | |
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創設 |
1942年(昭和17年)11月9日 (印度支那駐屯軍) |
再編成 |
1944年(昭和19年)12月11日 (第38軍) |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 軍 |
所在地 |
フランス領インドシナ→ ベトナム帝国 |
通称号/略称 | 信(しん) |
最終上級単位 | 南方軍 |
最終位置 |
ベトナム帝国ハノイ (現・ ベトナム社会主義共和国) |
戦歴 |
大東亜戦争(第二次世界大戦) [仏印進駐/明号作戦] |
沿革
編集1942年11月9日に印度支那駐屯軍が編制され仏印の守備を担当し、南方軍戦闘序列に編入された。1944年12月11日に名称を第38軍に変更し、引き続き仏印守備を担い1945年(昭和20年)の明号作戦ではベトナム・カンボジア・ラオス駐留のフランス軍を完全に駆逐することに成功。大東亜戦争末期の日本軍で数少ない勝利を打ち立てた。
→詳細は「明号作戦 § 結果」、および「ベトナム帝国 § 歴史」を参照
1945年(昭和20年)9月2日の降伏文書調印と同時にベトナム民主共和国(現・ベトナム社会主義共和国)が独立宣言。これと前後して本軍傘下の兵士多数がベトミンに合流した。
→詳細は「ベトナム八月革命 § 総蜂起」、および「ベトナム独立宣言 § 概要」を参照
→「第一次インドシナ戦争 § 日本軍憲兵隊」も参照
旧宗主国フランスのインドシナ再進出を待って、1946年(昭和21年)4月までに日本兵は引き揚げを完了し任務を完遂した。
→詳細は「マスタードム作戦 § インドシナの日本軍」を参照
軍概要
編集印度支那駐屯軍
編集第38軍
編集- 通称号:信
- 編成時期:1944年12月11日
- 最終位置:ハノイ
- 上級部隊:南方軍
歴代司令官
編集印度支那駐屯軍司令官
編集第38軍司令官
編集- 土橋勇逸 中将:1944年12月20日 -
歴代参謀長
編集印度支那駐屯軍参謀長
編集- 河村参郎 少将:1942年12月5日 - 1944年12月20日
第38軍参謀長
編集- 河村参郎 少将:1944年12月20日 -
- 幸道貞治 大佐:1945年6月2日 -
最終司令部構成
編集- 司令官:土橋勇逸中将
- 参謀長:幸道貞治大佐
- 高級参謀:林秀澄大佐
- 作戦参謀:酒井干城中佐
- 後方参謀:井上猛夫中佐
- 高級副官:犬童巳来男大尉
最終所属部隊
編集- 第2師団
- 第21師団
- 第37師団
- 第55師団
- 独立混成第34旅団:服部尚志少将
- 南方軍第1憲兵隊:春日馨大佐
- 南方軍通信隊司令部
- 南方軍第5通信隊
- 南方軍通信教育隊
- 南方軍測量本部
- 南方軍第1測量隊
- 第11野戦郵便隊
- 中隊級直轄部隊
- 独立野戦高射砲第62中隊
- 独立自動車第34中隊
- 兵站自動車第186中隊
- 特設自動車第36中隊
- 特設自動車第39中隊
- 特設自動車第40中隊
- 建築勤務第49中隊
- 医療関連部隊
- 南方第2陸軍病院:林真学軍医大佐
- 南方第4陸軍病院:中山正之軍医大佐
- 第149兵站病院:中尾源造軍医中佐
- 第33野戦防疫給水部
- 患者輸送第96小隊
- 第38軍補給廠
- 第38軍兵站病馬廠:阿部好義獣医中佐
- 第38軍軍馬防疫廠:二宮正明獣医少佐
- 第38軍野戦兵器廠:山賀夘之助大佐
- 第38軍野戦自動車廠:町田勇少将
- 第38軍野戦貨物廠:松浦則武主計中佐