稲葉正夫
稲葉正夫(いなば まさお、1908年〈明治41年〉5月1日 - 1973年〈昭和48年〉10月10日)は、日本の陸軍軍人、戦史研究家。最終階級は陸軍中佐。
稲葉正夫 | |
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生誕 |
1908年(明治41年)5月1日 日本 新潟県 |
死没 | 1973年10月10日(65歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1930年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中佐 |
除隊後 | 防衛庁戦史室編纂官 |
経歴
編集- 新潟県村上出身。
- 1930年(昭和 5年) : 陸士(第42期)卒。
- 1939年(昭和14年) : 陸大卒。
- 1940年(昭和15年) : 関東軍参謀。
- 1943年(昭和18年)1月 : 陸軍省軍務局軍事課課員、同年11月陸大教官兼任。
- 1944年(昭和19年)3月 : 陸軍中佐となる。
- 1945年(昭和20年)3月 : 大本営参謀。8月のポツダム宣言受諾の際、阿南惟幾陸相名で出された「全軍将兵に告ぐ」の執筆者。
- 戦後、ビルマ国家元首バ・モオを隠したとして戦犯に問われたが釈放された。
- 1955年(昭和30年) : 防衛庁に勤務。
- 1957年(昭和32年) : 戦史室編纂官となり「真田穣一郎日誌」「宇垣一成日記」「杉山メモ」など貴重な文書の収集、戦史室所蔵文書の公刊に努めた。