稲垣孝照
稲垣 孝照(いながき たかてる、1878年(明治11年)9月 - 1944年(昭和19年)9月25日[1])は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は正四位勲二等功五級。愛媛県出身[2]。
稲垣 孝照 | |
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生誕 |
1878年9月 日本 愛媛県 |
死没 | 1944年9月25日(66歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1901年 - 1935年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
指揮 |
名古屋連隊区司令官 歩兵第10旅団長 陸軍士官学校長 |
出身校 | 陸軍士官学校 |
配偶者 | 稲垣芳江(小林吉右衛門の長女) |
子女 |
稲垣孝正(長男) 小幡照子(長女、小幡靖夫人) 岡田春枝(次女、岡田信之夫人) |
概要
編集1878年(明治11年)9月、稲垣孝徳の長男として愛媛県で誕生する[2]。
1901年(明治34年)、陸軍士官学校卒業(第12期)[3]、任歩兵少尉。
稔彦王附武官、熊本陸軍地方幼年学校訓育部長、名古屋連隊区司令官、歩兵第10旅団長、陸軍士官学校長などを歴任し、1933年(昭和8年)、陸軍中将に任じられる。
1935年(昭和10年)、予備役。
年譜
編集栄典
編集- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
編集参考文献
編集- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。