秦梨城
秦梨城(はだなしじょう)[1]は、愛知県岡崎市秦梨町にあった中世の日本の城(山城)。
秦梨城 (愛知県) | |
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城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 鎌倉初期[1] |
主な城主 | 粟生師廣 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、堀切 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯34度56分48.5秒 東経137度14分59.3秒 / 北緯34.946806度 東経137.249806度座標: 北緯34度56分48.5秒 東経137度14分59.3秒 / 北緯34.946806度 東経137.249806度 |
地図 |
記録
編集『額田町史』[1]によれば、城主は三河守護足利氏被官粟生師廣とされている。 戦国時代には城主粟尾永信(将監)が駿河国の今川義元に属していたが弘治2年(1556年)に織田方に属した奥平氏 等に攻められたものの、奥平市兵衛・松平彦左衛門らを含む首5つを奪い同年5月24日(旧暦)に撃退したとされる[2][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 戦国合戦史研究会編『戦国合戦大事典〈三〉』(新人物往来社、1989年)ISBN 4-404-01629-8。
- 新編岡崎市史編さん委員会編『新編岡崎市史 6 古代中世史料編 』(岡崎市、1983年)。