神山 威(かみやま たける、1942年(昭和17年)[1] - 2016年平成28年)12月12日)は、日本宗教家。世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)日本教会第2代会長、同名誉会長を務めた。

神山 威
個人情報
生誕 1942年
死没 2016年12月12日
宗教 世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合
配偶者 岩井裕子
子供 神山美子(長女)
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生涯

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1968年、世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)の愛知地区長に就任[1]

1969年5月1日、統一教会本部で22組の男女が文鮮明韓鶴子夫妻から祝福を受けて合同結婚した[2][3]。このときに神山は岩井裕子と結ばれた[4][注 1]

1972年(昭和47年)に渡米した。

1984年(昭和59年)7月20日、文鮮明が米国で脱税の罪で懲役1年6ヶ月と2万5000ドルの有罪判決を受け、コネチカット州ダンベリー刑務所に入獄。神山も偽証罪でともに収監された[7]

1989年平成元年)1月11日、韓国で祝福二世72双合同祝福結婚式が開かれ[8]、長女である神山美子と、文鮮明のいとこの息子にあたる文俊鎬が結婚した[4]

1991年(平成3年)9月26日、統一教会の日本教会第2代会長に就任。1993年(平成5年)1月、会長を退任[9]。後に同名誉会長となる[10]

2016年(平成28年)12月12日、死去[11]

著書

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1969年の合同結婚式で結ばれた22組の男女のうち、神山威(第2代会長)、小山田秀生(第4代・9代会長)、櫻井設雄(第5代会長)、石井光治(第6代会長)、梶栗玄太郎(第12代会長)、阿部正寿ら12組の夫婦は「12双」と呼ばれ、教団内で別格の存在とみなされている[5][6]

出典

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  1. ^ a b 真の父母様と共に歩んだ 統一教会第2代会長 神山威先生の生涯路程”. ONE TRUTH (2019年12月13日). 2024年10月22日閲覧。
  2. ^ 【文鮮明総裁聖和節記念】日本を愛した文先生の足跡 15 南平台から松涛へ(最終回)”. 光言社 (2021年10月13日). 2022年11月8日閲覧。
  3. ^ 真の父母様と統一運動の歴史 1920-1969”. 光言社. 2022年10月12日閲覧。
  4. ^ a b 新潮社,2008年『フォ-カス第575~583巻』
  5. ^ 文藝春秋編 2022, pp. 56–57.
  6. ^ 統一教会・先輩家庭の苦労を称え、伝統の相続を誓う”. 中和新聞 (2012年8月21日). 2022年11月8日閲覧。
  7. ^ 1992年,文藝春秋社『文藝春秋第70巻』
  8. ^ 真の父母様と統一運動の歴史 1970-1989”. 光言社. 2022年10月12日閲覧。
  9. ^ 真の父母様と統一運動の歴史 1990-1999”. 光言社. 2022年10月12日閲覧。
  10. ^ 1994年,朝日新聞社『朝日年監第1巻』
  11. ^ 神山威会長聖和7周年記念追悼集会”. 祝福家庭コミュニティ. 2024年10月21日閲覧。

参考文献

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  • 石井謙一郎、森健鈴木エイト、甚野博則、伊藤達美ほか 著、文藝春秋 編『統一教会 何が問題なのか』文藝春秋〈文春新書〉、2022年11月18日。ISBN 978-4166613946 
先代
久保木修己
世界基督教統一神霊協会日本教会会長
2代
1991年 - 1993年
次代
藤井羑雄