磐余
奈良県桜井市から橿原市にかけての古地名
磐余(いわれ)とは、奈良盆地桜井市中部(阿部・池之内)から橿原市南東部(池尻)にかけての古地名。天香具山北東山麓を指す。石村・石寸とも表記する。
語源
編集神武天皇の和風諡号、「神日本磐余彦天皇」の中にこの地名が含まれ、天皇の東征の際に、兄磯城の軍が「磐余邑」に駐屯していたことが見える[1]。元の名は片居または片立と言い、大軍が満たした(古語で「いはめり」)ために磐余と改めたという[2]。「要害地」・「石根(いわね)」などの説があり、「石村」を朝鮮の古語で「いわふれ」とよむところから来ているとも言われている。池田末則は「岩群」ではないか、と述べている。
歴史
編集古代に多くの天皇の皇居が置かれたところで、ヤマト政治の中心地であった。
脚注
編集参考文献
編集- 『日本書紀』(一) - (四)岩波文庫、1994年、1995年
- 『日本書紀』全現代語訳(上)・(下)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
- 『古事記』完訳日本の古典1、小学館、1983年
- 『萬葉集』(一)完訳日本の古典2、小学館、1982年
- 『岩波日本史辞典』p92、監修:永原慶二、岩波書店、1999年
- 『角川第二版日本史辞典』p87、高柳光寿・竹内理三:編、角川書店、1966年
- 『コンパクト版日本地名百科事典』p155、監修:浮田典良、中村和郎、高橋伸夫、小学館、1998年
- 『コンパクト版日本地名事典』地名事典 p95、吉田茂樹著、新人物往来社、1991年
- 『コンサイス日本地名事典』第4版 p137 - p138、監修:谷岡武雄、山口恵一郎、三省堂、1998年