碧天舎(へきてんしゃ)は、かつて東京都千代田区に存在していた日本出版社。おもに自費出版による書籍を刊行していた。2006年自己破産した。

概要

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1979年創業[1]。商業出版も手がけていたが、ビブロス社長・山本裕昭代表取締役に就任後、自費出版事業へ比重を移す。

文芸社が開発したとされる「棚買い」(特約書店に配本し、売れ残り分は版元が買い上げる手法)を導入し、出版点数を伸ばしていた[2]。さらに、「碧天文芸大賞」「ふるさと物語コンテスト」「エッセイグランプリ」などを運営して書き手を発掘し[3]、また、2004年から「碧天ファンタジー文学賞」を運営して、そこから各賞の受賞作などが出版された[2]

こうした営業の結果、2004年当時には、年間出版点数において全出版社中22位で、自費出版系の出版社としては文芸社(42位)をしのぎ、新風舎(2位)に次ぐ規模に達していた[2]

破綻

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2006年3月31日東京地方裁判所自己破産を申し立てた。

4月6日に開かれた債権者説明会では、「8億2400万円の債務超過」であると報告され、創業時から赤字経営で山本裕昭社長個人と、その経営する別の出版社ビブロスが赤字を補填していたと説明された[4]。出版費用を支払いながら、出版も返金もされなかった債権者たちは250人とされ[1][4][5]、そのうち100人あまりが碧天舎被害者連絡会を結成した。債権者たちが支払った出版費用は、ひとり80万円から130万円ほどと報じられた[1][5]

碧天舎の破産を受けて、新風舎が一部の執筆者の出版支援に乗り出した[6]。しかし、その新風舎も程なくして、2008年1月に破綻した[7]

出典・脚注

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  1. ^ a b c “幻!?の自費出版本 大手「碧天舎」倒産 250人「お金返して」”. 読売新聞(東京・夕刊): p. 14. (2006年4月12日)  - ヨミダス歴史館で閲覧
  2. ^ a b c 待田晋哉 (2005年10月26日). “文学のポジション 自費出版 (1) 誰もが作家 本の洪水文化”. 読売新聞(東京・夕刊): p. 4  - ヨミダス歴史館で閲覧
  3. ^ 佐久間文子、西田健作「どうなるニュー自費出版 業界大手・碧天舎が自己破産」『朝日新聞(朝刊)』2006年4月26日、29面。 - 聞蔵IIビジュアルで閲覧
  4. ^ a b 自己破産の碧天舎、債権者説明会”. 新文化通信社 (2006年4月6日). 2012年6月17日閲覧。
  5. ^ a b “母の闘病180句・戦争体験小説に 250人、閉ざされた筆 自費出版・碧天舎倒産”. 朝日新聞(朝刊): p. 29. (2006年4月18日)  - 聞蔵IIビジュアルで閲覧
  6. ^ “碧天舎倒産「出版難民」見逃せない 最大手「新風舎」が救済策”. 読売新聞(東京・夕刊): p. 11. (2005年10月26日)  - ヨミダス歴史館で閲覧
  7. ^ 新風舎倒産への当会の見解”. 共同出版・自費出版の被害をなくす会 (2008年1月8日). 2012年6月20日閲覧。

外部リンク

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