矢田 隆男(やだ たかお、1847年 - 1923年)は、日本武術家神道家である。

やだ たかお

矢田 隆男
生誕 1847年????
(弘化4年)
京都
死没 1923年????
(大正12年)
国籍 日本の旗 日本
職業 武術師範
菊亭侯爵家の家臣
警察官
神道家
流派 神傳不動流
肩書き 警察保安課長
神宮教鳥取本部長
神宮神部署主事
運動・動向 二卿事件
刑罰 終身監獄の刑
矢田穏清斎
補足
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経歴

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弘化4年(1847年)に京都の矢田穏清斎の子として生まれる。菊亭家の家臣。

父親の矢田穏清斎とともに私塾を開き、京都で神伝不動流を教えた。

尊皇の志篤く欧風化する時流を常に憂い、明治4年(1871年)の二卿事件(愛宕外山の事件)に連座して捕えられ青森県に幽閉された[1]。父の矢田穏清斎は明治4年12月3日に京都において終身監獄の刑となり、明治5年(1872年)2月に鹿児島監獄署に送られている。

明治15年頃(1882年)放免され、岡山県に入り警察保安課長となった。

神宮教に入り鳥取本部管下島根県松江市支部主事を勤め、明治29年(1896年)に神宮教鳥取本部長となった。

神宮神部署設置に伴い鳥取支署長に就任した。神宮神部署主事。叙従八位。

大正7年(1918年)に休職[2]1919年大正8年)依願退職。

大正12年(1923年)没[1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 『神社新報社編『神道人名辞典』神社新報社、1955年
  2. ^ 神宮神部署主事矢田隆男休職ノ件』国立公文書館所蔵

参考文献

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