矢板 玄(やいた くろし、1915年 - 1998年)は、昭和期の実業家亜細亜産業株式会社社長。

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生家。現在は矢板武記念館として公開されている。

1915年(大正4年)、栃木県矢板市にて、矢板玄蕃(げんば)の長子として生まる。玄蕃の跡を継ぎ、矢板家の十五代当主となる。なお玄蕃の祖父は矢板市の名士矢板武である。

横浜高等工業学校(現在の横浜国立大学理工学部)の電気化学科を卒業後、昭和電工に入社した。その後まもなく中国大陸に渡り、大日本帝国陸軍の命を受け、矢板機関を組織し活躍した。1940年昭和15年)、勲六等瑞宝章を受勲する。

第二次世界大戦後は亜細亜産業株式会社を起業し、社長となる。亜細亜産業が解散した後は、1957年(昭和32年)に東山工業株式会社の取締役となる。その後、三菱化成顧問、下野銀行頭取、下野銀行顧問、矢板信用組合理事長などを歴任し活躍した。

なお、没後、故人の遺志により生家は矢板市に寄付され、現在は矢板市立矢板武記念館として公開されている。

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