睿真皇后(えいしんこうごう、生没年不詳)は、代宗の側室で徳宗の生母。姓は沈氏

呉興の人。玄宗の時代の開元末年(741年)に皇太子(後の粛宗)の東宮に入り、広平王李豫(後の代宗)に嫁いで李适(後の徳宗)を産んだ。安史の乱が起こると、洛陽の宮中で反乱軍に捕らえられた。李豫が洛陽を奪回した時に取り戻されたが、情勢不安定のため長安には行けず、洛陽に留め置かれた。反乱軍の史思明が再び洛陽を占領すると、沈氏は行方不明になった。代宗が立ち李适が皇太子となると、沈氏の行方を捜索したが見つからなかった。息子の徳宗の代の建中年間(780 - 783年)に、生死不明のまま皇太后の尊号を贈られた。

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参考文献

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  • 岡崎由美・王敏 監修 『中国歴代皇帝人物事典』 河出書房新社、1999年、p. 279 - 280