相馬充胤
相馬 充胤(そうま みちたね)は、江戸時代後期から末期の大名。相馬氏第28代当主。陸奥中村藩第12代藩主。
相馬充胤 | |
時代 | 江戸時代後期-末期 |
生誕 | 文政2年3月19日(1819年4月13日) |
死没 | 明治20年(1887年)2月19日 |
墓所 | 青山霊園 |
官位 | 従五位下、大膳亮 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶→家定→家茂→明治天皇 |
藩 | 中村藩 |
氏族 | 相馬氏 |
父母 | 父:相馬益胤、母:松平頼慎の娘 |
兄弟 | 充胤、義典、義堯、義諶、泰胤、青山幸礼継室のち織田信学正室、糸子、娘相馬胤就室、維子、相馬胤真室 |
妻 |
正室:柳沢保泰の娘 継室:松平頼升の娘 継室:太田資始の娘 |
子 | 虎丸、誠胤、義理、順胤、花子(有馬純文正室)、相馬胤紹室 |
第11代藩主・相馬益胤の長男。母は松平頼慎(水戸藩支流)の娘。正室は柳沢保泰の娘、継室は松平頼升(水戸藩支流)の娘、太田資始の娘。従五位下、大膳亮。
略歴
編集天保4年(1833年)2月15日、将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下大膳亮に叙任。天保6年(1835年)3月7日、父の隠居により12代藩主に就任する。二宮尊徳に領内指導を依頼した。元治元年(1864年)5月5日に従四位下に昇叙し、同年同月7日、大膳大夫に転任。慶応元年(1865年)4月24日、隠居し、長男誠胤に家督を譲る。慶応4年8月、戊辰戦争で明治政府軍に降伏し、謹慎を命じられる。明治3年5月7日、明治天皇に拝謁する。明治20年(1887年)死去。大正7年(1918年)11月18日、贈従三位。
系譜
編集父母
正室、継室
側室
- 千代の方 ー 大貫氏
- 西山リウ
子女