白幡八幡大神(しらはたはちまんだいじん)は、神奈川県川崎市宮前区武蔵国橘樹郡)にある神社玉依姫命応神天皇神功皇后を祀る。明治以降の社格郷社稲毛荘(橘樹郡)の惣社である[注釈 1]

白幡八幡大神
白幡八幡大神
拝殿
所在地 神奈川県川崎市宮前区4-6-1
位置 北緯35度35分49.9秒 東経139度34分14.9秒 / 北緯35.597194度 東経139.570806度 / 35.597194; 139.570806座標: 北緯35度35分49.9秒 東経139度34分14.9秒 / 北緯35.597194度 東経139.570806度 / 35.597194; 139.570806
主祭神 玉依姫命応神天皇神功皇后
社格 郷社
創建 康平4年(1061年
例祭 9月第3日曜日
主な神事 白幡八幡大神の禰宜舞
地図
白幡 八幡大神の位置(神奈川県内)
白幡 八幡大神
白幡
八幡大神
地図
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由緒

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天喜4年(1056年源頼義勅命を受けて安倍頼時征討の途次、鶴岡八幡宮に参詣し戦勝を祈願し、鎌倉から10里毎にを立てた。康平4年(1061年)の凱旋の時にその幣を立てた地に八幡宮勧請し、当社はその第一であるという[1][注釈 2]

建久3年(1192年鎌倉に幕府を開いた源頼朝によって源栄山八幡宮の名で再建されたと伝えられ、その後頼朝の正室政子の妹を妻に迎えた稲毛三郎重成が、多摩丘陵にあった広大な稲毛荘を安堵され、桝杉山に枡形城を築城してこの地の領主となり、当社は稲毛荘の総鎮守となった。

天正19年(1591年)には徳川家康より朱印地70石が寄進された。しかし後に社殿を焼失した際朱印状も烏有に帰し社領を失ったが特に3石余を寄せられた。

明治6年(1873年)郷社に列し、白幡八幡大神と称せられ現在に至る。

脚注

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注釈

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  1. ^ 川崎区稲毛神社有栖川宮熾仁親王が明治新政府の神仏分離の方針にふさわしくないと言ったことから「山王社」を改名したものであり稲毛神社としての歴史は明治時代からともいえ、高津区橘樹神社は明治大正期に存在した橘村の村社である。
  2. ^ 新編武蔵風土記稿』によると、源頼朝が奥州征伐の時に建てた社であるともされている[2]

出典

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  1. ^ 『全国神社名鑑 上巻』 全国神社名鑑刊行会史学センター、1977年7月 347ページ。
  2. ^ 「稲毛領 平村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ62橘樹郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763983/90 

関連項目

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  • 白幡台 - 当社から「白幡」をとった町名(ただし、当社の所在地ではない)。

外部リンク

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