甲突町
甲突町(こうつきちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在塩屋村、鹿児島市大字塩屋、鹿児島市塩屋町。郵便番号は892-0837[5]。人口は2,486人、世帯数は1,560世帯(2020年4月1日現在)[6]。甲突町の全域で住居表示を実施している[7]。
甲突町 | |
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町丁 | |
城南大通り沿いの街の様子 | |
北緯31度34分49秒 東経130度33分34秒 / 北緯31.580389度 東経130.559472度座標: 北緯31度34分49秒 東経130度33分34秒 / 北緯31.580389度 東経130.559472度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 中央地区 |
人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在) | |
人口 | 2,486 人 |
世帯数 | 1,560 世帯 |
設置日 | 1889年(明治22年)4月1日 |
郵便番号 | 892-0837 |
市外局番 | 099 |
ナンバープレート | 鹿児島 |
町字ID[1] | 0045000 |
運輸局住所コード[2] | 46500-0281 |
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地理
編集鹿児島市の中央部、甲突川下流域に位置している。町域の北方には南林寺町、南方には甲突川を挟んで下荒田、東方には城南町、錦江町、西方には新屋敷町がそれぞれ接している。
甲突川には天保山橋、天保山大橋、清滝川には清滝橋、昔の遊郭街の入り口にあたる場所に思案橋が架かっている。甲突川河畔は緑地公園となっている[8]。
河川
編集- 甲突川
- 清滝川
歴史
編集塩屋村の成立
編集寛永5年(1627年)に武村(現在の武の一部)から分割され薩摩国鹿児島郡近在の塩屋村として成立した[9]。塩屋村の村高は「旧高旧領取調帳」では145石余であった[10]。「塩屋」という村名は地内に塩田があったことに由来している[10]。
町村制施行以後
編集1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「 市制施行地」(内務省告示第1号)によって鹿児島が市制施行地に指定された[11]。3月5日には鹿児島県令第26号によって鹿児島郡のうち50町村が市制による鹿児島市の区域と定められ[12]、4月1日に市制が施行されたのに伴い、鹿児島郡50町村(山下町、平之馬場町、新照院通町、長田町、冷水通町、上竜尾町、下竜尾町、池之上町、鼓川町、稲荷馬場町、清水馬場町、春日小路町、車町、恵美須町、小川町、和泉屋町、浜町、向江町、栄町、柳町、易居町、中町、金生町、東千石馬場町、西千石馬場町、汐見町、泉町、築町、生産町、六日町、新町、松原通町、船津町、呉服町、大黒町、堀江町、住吉町、新屋敷通町、加治屋町、山之口馬場町、樋之口通町、薬師馬場町、鷹師馬場町、西田町、上之園通町、高麗町、下荒田町、荒田村、西田村、塩屋村)の区域より鹿児島市が成立した[12]。それまでの塩屋村は鹿児島市の大字「塩屋」となった[10]。1911年(明治44年)には大字から町となり「塩屋町」と改称した[10]。
1963年(昭和38年)に塩屋町の一部より錦江町と城南町が新設され[10]、一部が新屋敷町に編入された[7]。同時に塩屋町の全域で住居表示が実施された[13]。
1967年(昭和42年)4月7日の鹿児島県公報に掲載された鹿児島県告示第270号「 鹿児島市内の町の名称変更」によって4月20日より塩屋町は「甲突町」に改称された(9日後の4月29日に鹿児島市と新設合併した谷山市にも塩屋町があったが、こちらも合併の際谷山塩屋町と改称された)[4]。同年4月号の「かごしま市民のひろば」によれば名称変更の理由について「近く本市と合併する谷山市にも同じような町名があることなどによるものです」と記載している[14]。
町域の変遷
編集実施後 | 実施年 | 実施前 |
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錦江町(全域) | 1963年(昭和38年) | 塩屋町の一部 |
城南町(一部) | ||
新屋敷町(一部) |
沖之村遊廓
編集1899年(明治32年)10月開業。鹿児島県内唯一の公許の集娼地(公娼)であった。正式名称は常盤遊廓という。
前身の築地遊廓が現在の鹿児島駅候補地となったため低湿地帯の塩田を4,5尺ほど埋め立ての上移転、新規開業した。現在の清滝通り(中央警察署城南交番から国道225号海岸通までの区間)を挟んで最盛期で23軒の妓楼が並び、300~400人の娼妓を数えた。
戦後の赤線指定を経て1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで存続。遺構は存在しない。現在鹿児島県唯一の風俗指定地域である甲突町の8番街区[15]は区域外であり直接の後身ではない。
人口
編集以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
年 | 人口 |
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1995年(平成7年)[16] | 2,485
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2000年(平成12年)[17] | 2,548
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2005年(平成17年)[18] | 2,479
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2010年(平成22年)[19] | 2,819
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2015年(平成27年)[20] | 2,783
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施設
編集公共
編集郵便局
編集- 鹿児島甲突郵便局[22]
寺社
編集- 塩屋水神社
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[23]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
甲突町 | 全域 | 鹿児島市立城南小学校 | 鹿児島市立天保山中学校 |
出身の著名人
編集交通
編集道路
編集バス
編集脚注
編集- ^ “日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
- ^ “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年11月26日閲覧。
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 280.
- ^ “鹿児島県鹿児島市甲突町の郵便番号”. 2020年12月12日閲覧。
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b 永井隆治 (1963年9月5日). “市政だより”. 鹿児島市. 2020年8月5日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 683.
- ^ 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 169.
- ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 321.
- ^ 市制施行地(明治22年内務省告示第1号、明治22年2月2日、 原文)
- ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 3.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 742.
- ^ “かごしま市民のひろば(昭和42年4月号)”. p. 4 (1967年4月). 2021年1月9日閲覧。
- ^ “風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例”. 鹿児島県. 2020年12月12日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “交番・駐在所等の所在地・電話番号”. 鹿児島県警察. 2020年12月12日閲覧。
- ^ “鹿児島甲突郵便局(鹿児島県)”. 日本郵便. 2020年12月12日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
参考文献
編集- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史Ⅱ』 2巻、鹿児島市、1970年3月25日 。, Wikidata Q111372706
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9。, Wikidata Q111291392
- 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544。
- 芳即正『かごしま・くるわ物語 裏街道おんなの歴史』丸山学芸図書、1989年。ISBN 4895421139。
関連項目
編集- 塩屋町 (曖昧さ回避)
- 四代目小桜一家 - 甲突町に事務所を構える指定暴力団。