甲斐荘楠香
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甲斐荘(庄) 楠香(かいのしょう ただか[1](なんこう)[2]、1880年(明治13年)5月21日 - 1938年(昭和13年)6月25日[3])は、日本の発明家、実業家。高砂香料工業の創業者。
経歴
編集京都の士族・甲斐荘正秀の長男[3]。京都府師範学校附属小学校、京都府立一中、第三高等学校を経て[4]、京都帝国大学理工科大学純正化学科を卒業した[1]。1906年に久原躬弦の下で助教授に任命された[1]。しかし、応用化学、特に香料工業に関心があったことから休職し、1910年に欧州に私費留学した[1]。欧州では、フランスのグラースに下宿し、製造職工や調合見習いを行い、スイスのジボダンで合成香料の開発と調合を研修し、1913年末に帰国した[1]。
帰国後は、丸見屋(後のミツワ石鹸)に勤めるが、合成香料工業が苦境に陥り、1919年7月に退職した[1][4]。同じく退職した技術者たちを集め、1920年に高砂香料(後の高砂香料工業)を創立した[1]。
家族
編集弟に画家、風俗考証家である甲斐庄楠音がいる。