田崎 勇三(たざき ゆうぞう、1898年明治31年)7月5日[1][2] - 1963年昭和38年)5月24日[2])は、日本医師医学博士。癌研究会附属病院長[2]

経歴

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長崎県出身[1][2]1924年大正13年)東京帝国大学医学部[1][2]。病理学、内科学を専攻し、癌研究会附属病院に入り、内科部長、副院長、院長となる[1][2]。日本内科学会評議員[1]、日本消化学会理事、日本癌学会理事、会長を歴任した[1]。このほか横綱審議委員[2]、巣鴨学園理事長などを務めた[1]。1963年(昭和38年)に癌で死去した。墓所は多磨霊園[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『大衆人事録 第19版 東京篇』467頁。
  2. ^ a b c d e f g 『20世紀日本人名事典 そ~わ』日外アソシエーツ株式会社、2004年、1529頁。
  3. ^ 田崎勇三”. www6.plala.or.jp. 2024年11月28日閲覧。

参考文献

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  • 『大衆人事録 第19版 西日本篇』帝国秘密探偵社、1957年。
  • 『20世紀日本人名事典 そ~わ』日外アソシエーツ株式会社、2004年。

外部リンク

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