田坂輝敬
田坂 輝敬(たさか てるよし、1908年(明治41年)5月27日 - 1977年(昭和52年)1月18日)は新日本製鐵株式會社の第三代目の社長。
1976年(昭和51年)6月29日 新日本製鐵株式會社の第三代目社長に就任。
1977年(昭和52年)1月18日 膵臓癌にて逝去。
略歴
編集- 1908年(明治41年)5月27日 愛媛県越智郡今治町(現今治市)大字本町で生まれる。
- 1915年(大正4年)4月 今治第二尋常小学校入学
- 1921年(大正10年)3月 今治第二尋常小学校卒業
- 1921年(大正10年)4月 愛媛県立今治中学校入学
- 1926年(大正15年)3月 同校卒業
- 1926年(大正15年)4月 松山高等学校入学
- 1929年(昭和4年)3月 同校文科甲類卒業
- 1929年(昭和4年)4月 東京帝国大学入学
- 1933年(昭和8年)3月 東京帝国大学法学部法律家卒業
- 1934年(昭和9年)7月 野村生命保険株式会社入社
- 1938年(昭和13年)12月 野村生命保険株式会社退社
- 1939年(昭和14年)2月 理化学興業株式会社入社
- 1941年(昭和16年)7月 会社合併による理研工業株式会社に入社 同社庶務課長
- 1942年(昭和17年)6月25日 同社退社
- 1942年(昭和17年)7月7日 日本製鐵株式會社入社、本社総務局総務課勤務
- 1950年(昭和25年)4月1日 企業再建整備法による第二会社富士製鐵株式會社へ引継ぎ 本社総務部長兼本社労働部長
- 1957年(昭和32年)5月30日 同社取締役本社販売部長兼本社企画部長
- 1960年(昭和35年)6月30日 同社常務取締役
- 1962年(昭和37年)5月26日 同社代表取締役副社長
- 1970年(昭和45年)八幡製鐵・富士製鐵合併後の新日本製鐵株式會社代表取締役副社長
- 1976年(昭和51年)新日本製鐵株式會社代表取締役社長
- 1977年(昭和52年)膵臓腫瘍のため逝去(享年68歳)
主な公職団体歴
編集- 日本鉄鋼連盟理事
- 日本鉄鋼輸出組合理事
- 経済同友会幹事
- 経済団体連合会常任理事
- 通商産業省貿易会議専門委員
- 東京大学経済学部非常勤講師
- 日本鋼構造協会理事
- 日本ステンレス協会会長
- 日本経営者団体連盟常任理事
- 国際鉄鋼協会副会長
賞罰
編集- 1964年(昭和39年)10月28日 藍綬褒章受章
- 1977年(昭和52年)1月31日 従三位勲一等瑞宝章(追贈)
その他
編集- 座右の銘は「清心寡欲」。
- 岸信介首相の長男の岸信和の中学時代に家庭教師をしていた。
- 風貌はハンフリー・ボガートを彷彿とさせた。
参考文献
編集- 田坂輝敬回想録, 「田坂輝敬回想録」編集委員会, 新日本製鐵株式會社, 発行日:1978年(昭和53年)1月18日
- 八幡製鐵所八十年史 資料編, 八幡製鐵所所史編さん委員会, 新日本製鐵株式會社 八幡製鐵所, 発行日:1980年(昭和55年)11月18日
- 炎とともに 富士製鐵株式會社史, 社史編さん委員会, 新日本製鐵株式會社, 1981年(昭和56年)3月31日
- 炎とともに 新日本製鐵株式會社十年史, 社史編さん委員会, 新日本製鐵株式會社, 発行日:1981年(昭和56年)3月31日
- トップエコノミスト10人が抉る 経済界, 11巻, 2号, pp.46-49, 発行年:1976年
|
|
|