田原和男
田原 和男(たはら[1] / たわら[要出典] かずお、1887年(明治20年)4月22日[2] - 1955年(昭和30年)1月27日[1])は、大蔵官僚、南洋庁長官。
経歴
編集東京府出身。1914年(大正3年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業[3]。大蔵省に入り、東京税務監督局関税部長、臨時議院建築局書記官・会計課長、銀行局事務官・北海道拓殖銀行監理官を歴任[3]。1925年(大正14年)、京都市助役に就任した[3]。1926年(大正15年)、第1次若槻内閣が成立すると内閣総理大臣秘書官に任じられた[3]。1929年(昭和4年)より拓務書記官・内閣書記官、外務書記官を歴任し、ロンドン海軍軍縮会議では全権委員随員を務めた[3]。
1931年(昭和6年)、拓務省殖産局長に就任し、さらに南洋庁長官に転じた[4]。
その後、弁護士を開業した[5]。また千代田毛織株式会社取締役、愛国工業株式会社取締役、日本協同証券株式会社監査役、戦時金融金庫監事などを務めた[4][6]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 南洋経済研究所編「南洋庁歴代長官名簿及略歴」『南洋資料 第312号』、南洋経済研究所、1943年。