田中馬場町
京都市左京区の町名
歴史
編集田中馬場町出身の部落解放運動家・朝田善之助は、「生まれたところは京都府愛宕郡田中村字西田中。田中村には本村の東田中のほかに百万遍、関田、上柳、大堰、高野、それに西田中と7つの字があった。西田中がいわゆる部落で、古くは川崎村といった。いまは京都市左京区田中馬場町という。」と述べている[2]。
1907年ごろ、町内に町有の共同浴場ができた[2]。1907年には戸数253戸、人口1587人で、非常に貧しく、瓦葺きの家は3分の1もなくて便所は共同だった[2]。
高野川と加茂川で砂利をとる「バラス採取業」をしている人の多くは親方にやとわれた人夫だった[2]。青物行商と人力車夫も多かった[2]。皮革の仕事は少なくて皮革の仕事をしていた人は裕福だった[2]。皮革の仕事をやっていたのは早瀬商店など3軒だった[2]。
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行政
編集- 京都市役所都市計画局養正市営住宅管理事務所
経済
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- アイバサイクル
- 井上土建
- 竹村酒店
- 御蔭製作所
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- 小規模多機能 ようせいの家(小規模多機能型居宅介護)
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- 養正児童公園(希望の広場)
出身・ゆかりのある人物
編集脚注
編集- ^ a b 郵便番号・住所 京都府京都市左京区田中馬場町 キョウトシサキョウクタナカババチョウ日本郵便公式サイト。2020年6月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『新版 差別と闘いつづけて』3 - 20頁。
- ^ 『京都市社会部関係事業要覧 昭和16年版』17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年6月2日閲覧。
- ^ 『帝国信用録 第30版』京都府ハ12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年6月11日閲覧。
- ^ 『大日本寺院総覧 上』京都328頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月2日閲覧。
参考文献
編集- 帝国興信所編『帝国信用録 第30版』帝国興信所、1937年。
- 京都市社会部編『京都市社会部関係事業要覧 昭和16年版』京都市、1941年。
- 堀由蔵編『大日本寺院総覧 上』名著刊行会、1974年。
- 朝田善之助『新版 差別と闘いつづけて』朝日新聞社、1979年。