田中鎮
田中鎮(ティエンジョン/でんちゅう/たなか-ちん)は、台湾彰化県の鎮。
別称: 田中央 | |
地理 | |
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位置 |
北緯23°51' 東経120°34' |
面積: | 34.6056 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 田中 |
日本語読み: |
でんちゅう、てんちゅう たなか[1](慣用読み) |
拼音: | Tiánzhōng |
注音符号: | ㄊㄧㄢˊㄓㄨㄥ |
片仮名転写: | ティエンジョン |
台湾語: | Tiân-tiong |
客家語: | Thièn-tsûng |
行政 | |
行政区分: | 鎮 |
上位行政区画: | 彰化県 |
下位行政区画: | 22里334鄰 |
田中鎮長: | 謝文賢 |
公式サイト: | 田中鎮公所 |
情報 | |
総人口: | 42,464 人(2016年1月) |
世帯数: | 13,042 戸(2016年1月) |
郵便番号: | 520 |
市外局番: | 04 |
田中鎮の木: | - |
田中鎮の花: | - |
田中鎮の鳥: | - |
地理
編集緯度と経度:23°51′N 120°35′E
歴史
編集田中鎮は周囲を水田に囲まれていたことから「田中央」と称され、日本統治時代に和風地名「田中」(たなか)改称されている。
清代は台湾府彰化県太武東堡及び東螺東堡の一部分に帰属し、乾隆末年から嘉慶年間にかけて福建省漳州府及び泉州府から三塊厝沙仔崙一帯に入植が進み、小街廓(現在の沙崙里)が形成された。しかし道光30年に濁水渓の氾濫により旧街区は壊滅し、住民は「田中央」に移住し開拓に従事した。日本統治時代には台中県彰化支庁の管轄となり、1900年に沙仔崙支署、同年11月に続いて彰化田中支庁、1914年台中脳北斗支庁、1920年には台中州員林郡田中庄と改称され、1940年に街に昇格した。戦後は田中街は当初台中県の帰属となったが、1950年に彰化県に帰属するようになり現在に至っている。
経済
編集行政区
編集里 |
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香山里、碧峰里、東源里、復興里、平和里、頂潭里、中潭里、龍潭里、北路里、西路里、東路里、南路里、中路里、新庄里、三安里、大崙里、沙崙里、新民里、梅州里、三民里、三光里、大社里 |
歴代鎮長
編集代 | 氏名 | 任期 |
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教育
編集高級中学
編集高級職校
編集国民中学
編集国民小学
編集交通
編集種別 | 路線名称 | その他 |
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鉄道 | 縦貫線 | 田中駅 |
鉄道 | 高速鉄道 | 彰化駅 |
観光
編集出典
編集- ^ 「州、廳ノ位置、管轄區域及郡市ノ名稱、位置、管轄區域」大正九年八月十日、臺灣總督府令第四十七號