田中道夫

日本の騎手、調教師

田中 道夫(たなか みちお、1951年2月25日 - )は兵庫県競馬組合所属の元騎手調教師である。

田中道夫[1]
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県[2]
生年月日 (1951-02-25) 1951年2月25日(73歳)
騎手情報
所属団体 兵庫県競馬組合
所属厩舎 阿部和男・園田(1973年 - 1995年)
勝負服 緑・赤菱山形
騎手引退日 1995年9月27日
重賞勝利 50勝
通算勝利 16860戦3164勝
調教師情報
初免許年 1996年9月23日[3]
通算勝利 10797戦1172勝[注 1][3]
経歴
所属 西脇トレーニングセンター(1996年 - )
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兵庫競馬において1978年から1991年まで14年の長きに渡ってリーディングジョッキーの座を維持し続けた。1983年には全日本リーディングジョッキーで優勝し、1989年にはワールドスーパージョッキーズシリーズで準優勝。「園田の帝王」と謳われた。騎手を引退したのちも調教師として活躍し、2012年には兵庫のリーディングトレーナーに輝いている。長男の田中学は同じく兵庫県競馬組合所属の騎手。

経歴

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騎手時代

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元々は厩務員であったが、1973年12月に24歳で園田の阿部和男厩舎所属騎手としてデビューする[注 2][1][4]。しかし翌年1月の初勝利までわずか18鞍しか乗れないなど、当初は騎乗機会に恵まれなかった[5]。厩務員時代から収入も激減し、妻子を抱えて晩酌ビールストローですするような有様だったが[5]、当時兵庫のトップジョッキーの一人であった石川昇からも「田中君のスタートは巧い」と認められたように、着実に技術に磨きをかけていく[4]。また所属の阿部和男調教師も、田中を降ろすよう馬主から迫られた際には、当時厩舎に6頭しか馬がいなかったにもかかわらず、「それなら馬を引き揚げてください」と一歩も引かずに田中を庇ったという[5]

こうした周囲のサポートと本人の努力によって成績は年々上向いていき、1978年には石川昇から兵庫のリーディングジョッキーを奪取[4]。以後寺嶋正勝保利良次らとの間で厳しい競争を演じつつ、年間200勝達成3度を含め14年間にわたってリーディングの座を保ち続けた[4]。1982年と1988年には、地方競馬全体のリーディングジョッキーにも輝いている[6]。リーディング上位に顔を出してからも不思議と重賞勝利と縁がなかったが、1980年に新春賞をトウカイで制してようやく重賞初勝利[4]。その後は重賞勝ちを量産し、1983年には当時年間16個施行されていた兵庫の重賞競走のうち、半数にあたる8個を制している[4]。1989年の第3回ワールドスーパージョッキーズシリーズでは第4戦のゴールデンホイップトロフィーに勝利し、総合準優勝の好成績を収めた[注 3][1][7]

1991年、日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞[8]。1992年には年末に騎乗停止を受けたことも響いて小牧太にリーディングの座を奪われたが[9]、1993年9月13日には地方競馬通算3000勝を達成[4]。この年にはNARグランプリ特別賞も受賞している[1]。だが「思うように身体が動かなくなった」ことから、1995年9月27日を最後に騎手を引退した[1]。地方競馬における通算成績は16860戦3164勝・勝率18.7%・連対率34.5%。

調教師時代

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1996年9月27日より、同じく兵庫県競馬組合から調教師として開業。同年11月13日に調教師としての初勝利を飾ると[3]、1999年にバクシンクリークで園田ジュニアカップを制し重賞初制覇となった。翌2000年にはダイトクヒテンで若駒ステークスへ遠征し、見事中央競馬での初勝利も挙げている。2012年には109勝を挙げて自身初となる兵庫のリーディングトレーナーを獲得したが、これは所属騎手でもある長男・田中学のリーディングジョッキーとの親子同時受賞となった[10]

各年成績

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騎手時代

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西暦 騎乗数 1着数 2着 勝率 連対率
1973年 11 0 0 .000 .000
1974年 212 16 22 .075 .179
1975年 371 44 54 .118 .264
1976年 458 52 50 .113 .222
1977年 629 90 93 .143 .290
1978年 728 162 114 .222 .379
1979年 775 121 130 .156 .323
1980年 809 143 124 .176 .330
1981年 872 168 113 .192 .322
1982年 1006 217 166 .215 .380
1983年 918 186 118 .202 .331
1984年 958 196 156 .204 .367
1985年 851 164 139 .192 .356
1986年 1003 174 188 .173 .360
1987年 980 216 172 .220 .395
1988年 997 219 179 .219 .399
1989年 917 191 144 .208 .365
1990年 946 216 172 .228 .410
1991年 910 181 165 .198 .380
1992年 822 162 152 .197 .381
1993年 798 120 111 .150 .289
1994年 645 103 91 .159 .300
1995年 244 33 20 .135 .217
通算 16860 3164 2657 .187 .345

地方競馬での数字に限る。1着数の太字は兵庫リーディング[1]

代表騎乗馬

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  • トウカイ(1980年新春賞
  • プリンスホーオン(1980年播磨賞)
  • イイオカキング(1980年摂津盃、1981年兵庫大賞典
  • テルスカーレー(1981年市川賞、菊水賞
  • トキノモナナ(1981年姫山菊花賞
  • ガマエルシド(1981年市川賞、1982年菊水賞)
  • サチエノヒリユウ(1982年園田金盃、1982年・1983年白鷺賞、1983年新春賞、兵庫大賞典)
  • フサノキング(1982年園田ジュニアカップ
  • キタノモンテス(1982年姫山菊花賞)
  • ハクエンジエル(1983年フクパーク記念
  • ハギノニユーグリン(1983年楠賞全日本アラブ優駿
  • サンスカレー(1983年全日本アラブクイーンカップ
  • ダイサチホウケー(1983年市川賞)
  • マルセンテツトオー(1983年園田ジュニアカップ)
  • ポパイホマレ(1984年市川賞)
  • スマノアスカ(1985年園田ジュニアカップ、1986年菊水賞、播磨賞、1988年兵庫大賞典)
  • ミヤノマドンナ(1986年園田ジュニアカップ)
  • パルテキング(1987年六甲盃
  • ハツタテンリユウ(1987年市川賞)
  • ダンデイダイドウ(1987年西日本アラブダービー
  • インターロツキー(1988年フクパーク記念、1989年兵庫大賞典、園田金盃)
  • サンオーミエ(1988年のじぎく賞
  • ハギノドライバー(1988年園田ジュニアカップ)
  • ナイスブレーン(1990年姫山菊花賞、1991年摂津盃)
  • ハギノメジャー(1990年園田ジュニアカップ、1991年楠賞全日本アラブ優駿)
  • ハッコウマーチ(1992年菊水賞)
  • マルセンガバナー(1993年・1994年播磨賞、1994年新春賞、兵庫大賞典、白鷺賞、園田金盃)
  • フジノカップ(1993年フクパーク記念)
  • ハイクラス(1993年六甲盃)
  • シリウスファースト(1995年新春賞)

調教師時代

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西暦 出走数 1着数 2着数 勝率 連対率 収得賞金 順位[注 4]
1996年 - - - - - - -
1997年 - - - - - - -
1998年 318 34 36 .107 .220 4612万7000円 17位
1999年 315 48 34 .152 .260 1億236万2500円 3位
2000年 295 42 42 .142 .285 9959万4000円 6位
2001年 343 44 44 .128 .257 8717万4500円 6位
2002年 331 45 28 .136 .221 6472万3000円 8位
2003年 366 28 57 .077 .232 5442万6000円 29位
2004年 341 45 38 .132 .243 5962万6500円 8位
2005年 341 47 43 .138 .264 3870万2000円 6位
2006年 412 44 38 .107 .199 3800万8500円 14位
2007年 526 60 67 .114 .241 4694万2000円 5位
2008年 547 58 50 .106 .197 3472万2000円 7位
2009年 595 56 44 .094 .168 3000万9000円 9位
2010年 550 67 60 .122 .231 3863円3000円 3位
2011年 594 75 72 .126 .247 4097万3500円 4位
2012年 598 109 61 .182 .284 4567万2250円 1位
2013年 632 59 64 .093 .195 3615万8500円 5位
2014年 585 62 53 .106 .197 3143万7000円 5位
2015年 595 54 76 .091 .218 3039万1000円 7位
2016年 403 39 49 .097 .218 2997万1500円 15位
2017年 336 27 40 .080 .199 2309万1000円 25位
2018年 320 26 44 .081 .219 2696万5000円 28位
2019年 289 21 28 .073 .170 1767万6000円 41位
2020年 307 20 25 .065 .147 1969万4000円 43位
2021年 310 30 33 .097 .203 4256万6000円 23位
2022年 320 16 25 .050 .128 3899万2500円 44位
通算 10797 1172 1169 .109 .217

全ての数字は兵庫県競馬組合での競走のみ[1][11]

代表管理馬

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注釈

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  1. ^ 2022年末時点。
  2. ^ ただし、免許取得は11月からである。12月に11回、1月に7回目でようやく初勝利を挙げた。
  3. ^ 同シリーズには1991年にも出場を果たしている。
  4. ^ 兵庫県公営競馬での総合勝利数。「-」は不明。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 「田中道夫騎手引退レポート:さようなら、ありがとう」地方競馬全国協会『Furlong』1995年11月号、10-11頁。
  2. ^ 「俺たちの時代」前編”. 園田競馬 CHARGE Advanced. 2019年3月15日閲覧。
  3. ^ a b c Keiba.go.jp, 調教師登録情報:田中道夫(2014年11月8日閲覧)。
  4. ^ a b c d e f g 池永博省「兵庫の2000勝ジョッキー」兵庫県馬主協会『協会20周年記念誌 協会のあゆみ』1993年、208-209頁。
  5. ^ a b c 「座談会:2000勝ジョッキーを迎えて」地方競馬全国協会『地方競馬』1988年9月号。
  6. ^ 「地方競馬をいろどるスター」地方競馬全国協会『地方競馬史第4巻』1993年、153頁。
  7. ^ 「第3回ワールド・スーパー・ジョッキーズ・シリーズ詳報」『優駿』第50巻第1号、日本中央競馬会、1990年1月、33-36頁。 
  8. ^ 「日本プロスポーツ大賞の受賞」地方競馬全国協会『地方競馬史第5巻』2012年、113頁。
  9. ^ 洋泉社『競馬大再編!? 地方騎手達の逆襲:アンカツがニッポン競馬を変える!』84頁。
  10. ^ デイリースポーツ online, 田中学&道夫が史上初親子リーディング(2014年11月8日閲覧)。
  11. ^ Keiba.go.jp, 調教師リーディング(2014年11月8日閲覧)。