王歓
生涯
編集建熙元年(360年)、慕容暐が皇帝に即位すると、国子博士に任じられた。慕容暐は足繁く王歓の元に通い、授業を受けた。
祭酒に任じられた。
前燕が滅亡すると隠棲したが、前秦の天王苻堅によって召し出された。
祭酒・太子少傅に任じられ、在官中に亡くなった。
人物・逸話
編集貧乏暮らしにも不満はなく、学問に専念して仕事にも就かなかった。常に食べ物を乞い、詩を謳い、蓄えがない家といえども意に介していなかった。これを患った妻が、王歓が所蔵している書物を焼き、考えを改めるように求めた。王歓は笑って「卿は聞いていないだろうが、朱買臣 (前漢の会稽太守)の妻が人々から嘲笑されることはなかった」と述べた。王歓は志を守り、ついには前燕の官吏となった。
脚注
編集- ^ 史書によっては、王観または王勧と記されている。
参考文献
編集- 『十六国春秋』巻31