王国維
王 国維(おう こくい)は、清末民初の学者・思想家。近代的な中国学の開拓者(国学大師)の一人。中国文学・中国史学・考古学・美学・哲学など多分野を論じた。甲骨文字研究の開拓者でもあり、羅振玉・董作賓・郭沫若とともに「甲骨四堂」と称される。字は静安または伯隅、号は観堂。
王国維 | |
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プロフィール | |
出生: |
1877年12月3日 (清光緒3年10月29日) |
死去: |
1927年(民国16年)6月2日 中華民国北京市 |
出身地: | 清浙江省杭州府海寧州 |
職業: | 学者 |
各種表記 | |
繁体字: | 王國維 |
簡体字: | 王国维 |
拼音: | Wáng Guówéi |
和名表記: | おう こくい |
発音転記: | ワン・グオウェイ |
生涯
編集浙江省杭州府海寧州出身。1882年から私塾で学び、1893年に秀才となる。1899年、上海にて変法派の雑誌『時務報』に勤務するとともに、羅振玉の東文学社で外国語と化学・物理学を学び、西洋の学問に触れるようになった。
1901年、日本の東京物理学校(東京理科大学の前身)に留学したが、病のため翌年に帰国した。1903年から通州師範学堂と江蘇師範学堂で哲学・心理学などを講義するようになり、『紅楼夢評論』などの哲学・美学論文を多数発表した。これらは1905年に『静安文集』として出版された。1907年、北京に行き学部図書館編訳・名詞館協修に任命された。この間に『人間詞話』『宋元戯曲考』を著している。1911年、辛亥革命がおこると日本に逃れた。
1916年、帰国して上海の倉聖明智大学の教授となり、『浙江通志』の編纂にも参加している。1917年には『殷周制度論』を著した。1923年、愛新覚羅溥儀に招かれ「南書房行走」に就任した。1925年、清華大学国学研究院教授となり、経学・史学を講義し、漢や魏の石刻文や古代の西北地理やモンゴル史料を研究した。梁啓超・陳寅恪・趙元任とともに清華大学の「四大導師」と称された。
著書
編集関連項目
編集関連文献
編集- 佐藤武敏『王国維の生涯と学問』風間書房、2003年。ISBN 9784759913989
- 井波陵一『紅楼夢と王国維 二つの星をめぐって』朋友書店、2008年
外部リンク
編集- 『王国維』 - コトバンク
- 王国維 - 国文学研究資料館蔵書印データベース 2021年5月21日閲覧。
- 王国維の蔵書印。
- 「近代」、「新学」と王国維 —「哲学」と「史学」の王国維における位置づけ(喬 志航)