猿谷吉太郎
猿谷 吉太郎(さるや きちたろう、1889年(明治22年)4月1日[1] - 1987年(昭和62年)3月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
猿谷 吉太郎 | |
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生誕 |
1889年4月1日 日本 群馬県 |
死没 | 1987年3月20日(97歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1889年(明治22年)に群馬県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期卒業[1]。1930年(昭和10年)12月に陸軍造兵廠火工廠板橋火薬製造所長に就任し[2]、1937年(昭和12年)3月1日に陸軍砲兵大佐進級と同時に陸軍造兵廠名古屋工廠熱田製造所長に着任した[2][3]。同年10月25日に兼陸軍造兵廠名古屋工廠高蔵製造所長となり[2]、1939年(昭和14年)9月に陸軍造兵廠名古屋工廠立川兵器製造部長に転じた[2]。
1940年(昭和15年)4月1日に陸軍航空工廠長に就任し[2]、8月1日に陸軍少将に進級した[2]。1945年(昭和20年)2月12日に陸軍航空本部附となり[4]、3月1日に陸軍中将に進級して終戦を迎えた[2]。
栄典
編集- 勲章
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。