牟佐坐神社
奈良県橿原市にある神社
牟佐坐神社(むさにますじんじゃ)は、奈良県橿原市にある神社である。式内大社で、旧社格は村社。
牟佐坐神社 | |
---|---|
拝殿 | |
所在地 | 奈良県橿原市見瀬町718 |
位置 | 北緯34度28分28.2秒 東経135度47分40.9秒 / 北緯34.474500度 東経135.794694度座標: 北緯34度28分28.2秒 東経135度47分40.9秒 / 北緯34.474500度 東経135.794694度 |
主祭神 |
高皇産霊神 孝元天皇 |
社格等 |
式内社(大) 旧村社 |
創建 | 安康天皇年代(454年~456年) |
本殿の様式 | 一間社流造桧皮葺 |
例祭 | 10月9日 |
地図 |
祭神
編集古来の祭神の比定としては以下の記述がある。
歴史
編集創建
編集創始は安康天皇の時代に、渡来人の身狭村主青が生雷神を祀ったのが始まりとされている。 身狭(=牟佐)は大和国高市郡の地名で、阿知使主が率いて帰化した東漢氏の本拠地とされている。身狭村主青は倭の五王の一人とされている雄略天皇の寵臣で、『日本書紀』は雄略天皇8年(464年)と雄略天皇12年(468年)に呉の国(宋)に派遣されたと記す。しかし、この遣使の記事は「宋書」には記述されていない。
概史
編集『日本書紀』によれば、壬申の乱の際、高市郡大領高市縣主許梅に「高市社に居る事代主神と身狭社に居る生霊神」が神懸りし、「神日本磐余彦天皇の陵に馬及び種々の兵器を奉れ」と言い、そうすれば大海人皇子(後の天武天皇)を守護すると神託した。[1]その結果、大海人皇子の即位後、身狭坐生霊神に史上初となる神位が授けられている。延喜式神名帳では大社に列し、月次・新嘗の奉幣に預ると記されている。
旧社格は村社に列した。
神階
編集交通アクセス
編集注釈
編集- ^ 『日本書紀』、巻第28
関連項目
編集外部リンク
編集- 牟佐坐神社 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」