無隠元晦(むいん げんかい)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の臨済宗の僧。
16年間にわたり元に滞在し、中峰明本の法嗣となる[1]。嘉暦元年(1326年)に帰国したのち大友氏泰に招かれ、筑前顕孝寺、聖福寺にはいる[1]。そののち京都建仁寺、南禅寺の住持を歴任した[1]。馮子振が元に滞在中の無隠元晦に対し書き上げた偈は、『与無隠元晦詩』として国宝に指定されている[2]。