清和院
京都市上京区にある真言宗智山派の寺院
清和院(せいわいん)は、京都市上京区一観音町にある真言宗智山派の寺院。山号は河崎山。本尊は地蔵菩薩(清和地蔵尊もしくは玉体地蔵尊ともいう)。本堂には洛陽三十三所観音霊場第33番札所本尊の聖観音も祀られている。
清和院山門 | |
所在地 | 京都府京都市上京区七本松通一条上る一観音町428-1 |
位置 | 北緯35度1分38.4秒 東経135度44分22.6秒 / 北緯35.027333度 東経135.739611度座標: 北緯35度1分38.4秒 東経135度44分22.6秒 / 北緯35.027333度 東経135.739611度 |
山号 | 河崎山 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 地蔵菩薩(清和地蔵尊もしくは玉体地蔵尊、重要文化財) |
開基 | 文徳天皇 |
中興年 | 徳治元年(1306年) |
中興 | 照空信日 |
正式名 | 河崎山感応寺清和院 |
札所等 |
洛陽三十三観音霊場第33番 洛陽四十八所地蔵霊場 洛陽七観音 |
文化財 | 木造地蔵菩薩立像、木造聖観音立像(重要文化財) |
法人番号 | 1130005002192 |
歴史
編集もと、藤原良房邸(染殿第)の南に文徳天皇が染殿后の請いにより仏心院を建てて地蔵菩薩を安置したのに始まる。
清和天皇が貞観18年(876年)の譲位後、染殿の南部分を御在所・後院とすると、仏心院は清和井(せかい)院もしくは勢賀院とも呼ばれるようになった。それ以来、皇子、親王の住院として使用された。
その後に廃れていたところ、徳治元年(1306年)に浄土宗西山義の照空信日によって仏心院は再興され、清和院の号を朝廷より賜った。
万治4年(1661年)に禁裏が火事で焼失した際に共に焼け落ちるが、後水尾上皇によって現在地に移されて真言宗の寺院として再興された。その際、享禄4年(1531年)に焼失した一条鴨川西岸にあった感応寺の聖観音(通称、河崎観音)も一緒に祀られることとなった。
境内
編集- 本堂兼収蔵庫
- 爪形天満宮
- 庫裏
- 山門
文化財
編集重要文化財
編集前後の札所
編集- 洛陽三十三所観音霊場
- 32 廬山寺 - 33 清和院
- 洛陽四十八所地蔵霊場
- 12 地蔵院(椿寺) - 13 清和院 - 14 浄福寺
- 洛陽七観音
参考文献
編集- 河崎山清和院の由緒