清原村 (栃木県)
日本の栃木県芳賀郡にあった村
清原村(きよはらむら)は栃木県の東部、芳賀郡に属していた村である。
きよはらむら 清原村 | |
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廃止日 | 1954年8月10日 |
廃止理由 |
編入合併 清原村 → 宇都宮市 |
現在の自治体 | 宇都宮市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 栃木県 |
郡 | 芳賀郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 41.8 km2. |
総人口 |
10,090人 (1950年) |
隣接自治体 | 宇都宮市、芳賀郡真岡町、芳賀町、河内郡瑞穂野村、古里村、那須郡阿久津町、北高根沢村 |
清原村役場 | |
所在地 | 栃木県芳賀郡清原村 |
座標 | 北緯36度32分48秒 東経139度58分56秒 / 北緯36.54656度 東経139.98225度座標: 北緯36度32分48秒 東経139度58分56秒 / 北緯36.54656度 東経139.98225度 |
ウィキプロジェクト |
芳賀郡の自治体であったが宇都宮市および河内郡との結びつきが強く、[要出典]宇都宮市と編入合併した。しかし真岡新聞の配布地域に含まれている点、真岡市内の企業への通勤者が多い点、真岡市内の高等学校への通学者が多い点など、宇都宮市内の中では比較的芳賀郡地域との結びつきが強いエリアでもある[要出典]。
地理
編集- 河川:鬼怒川
歴史
編集学校
編集- 清原村立清原北小学校
- 清原村立中央小学校
- 清原村立清原東小学校
- 清原村立清原南小学校
- 清原村立清原中学校
- 栃木県農業講習所
- 宇都宮陸軍飛行学校(1940-1944)
行政
編集- 清原村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 岡田直三郎 | 1889年(明治22年)5月8日 | 1889年(明治22年)5月16日 | |
2 | 芝野徳三郎 | 1889年(明治22年)5月27日 | 1889年(明治22年)10月18日 | |
3 | 芝野庄三郎 | 1889年(明治22年)12月18日 | 1893年(明治26年)7月3日 | |
4 | 坂本茂吉 | 1893年(明治26年)7月10日 | 1894年(明治27年)9月26日 | |
5 | 坂本平三郎 | 1894年(明治27年)10月4日 | 1895年(明治28年)9月30日 | |
6 | 坂本吉十郎 | 1896年(明治29年)3月31日 | 1900年(明治33年)3月30日 | |
7 | 〃 | 1900年(明治33年)3月31日 | 1904年(明治37年)3月30日 | |
8 | 〃 | 1904年(明治37年)3月31日 | 1908年(明治41年)3月30日 | |
9 | 〃 | 1908年(明治41年)3月31日 | 1912年(明治45年)3月30日 | |
10 | 〃 | 1912年(明治45年)3月31日 | 1916年(大正5年)3月30日 | |
11 | 〃 | 1916年(大正5年)3月31日 | 1920年(大正9年)3月30日 | |
12 | 〃 | 1920年(大正9年)3月31日 | 1924年(大正13年)3月30日 | |
13 | 〃 | 1924年(大正13年)3月31日 | 1926年(大正15年)11月7日 | |
14 | 上野清三郎 | 1926年(大正15年)11月8日 | 1929年(昭和4年)6月18日 | |
15 | 坂本勝造 | 1929年(昭和4年)10月5日 | 1933年(昭和8年)10月4日 | |
16 | 〃 | 1933年(昭和8年)10月5日 | 1937年(昭和12年)10月4日 | |
17 | 坂本薫太郎 | 1937年(昭和12年)10月12日 | 1941年(昭和16年)10月11日 | |
18 | 阿久津喜徳 | 1942年(昭和17年)6月22日 | 1946年(昭和21年)6月21日 | |
19 | 荒井甲一 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
20 | 荒井甲一 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 1954年(昭和29年)8月9日 |
出典:『栃木県町村合併誌 第二巻』, p. 261-262
交通
編集- 宇都宮陸軍航空廠線(1942-1945)
- 鐺山駅
名所・旧跡
編集出身者
編集脚注
編集- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、446,447頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
参考文献
編集- 『栃木県町村合併誌 第二巻』 栃木県、1955年4月。