浅川 (長野市)
浅川 あさかわ | |
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国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
自治体 | 長野市 |
旧自治体 | 浅川村 |
面積 |
24.77km² |
総人口 |
6,404人 (住民基本台帳、2023年3月1日現在) |
人口密度 |
258.54人/km² |
長野市役所浅川支所 | |
北緯36度40分52.6秒 東経138度12分17.1秒 / 北緯36.681278度 東経138.204750度座標: 北緯36度40分52.6秒 東経138度12分17.1秒 / 北緯36.681278度 東経138.204750度 | |
所在地 |
〒381-0064 長野県長野市浅川東条328-1 |
本項では、かつて概ね同区域に所在した上水内郡浅川村(あさかわむら)についても述べる。
1889年(明治22年)に誕生した浅川村の村名は、村の中を流れる浅川に由来する。また、①古くから浅川一帯は「柳原荘朝川原」と称せられていたこと、②現在も北郷にある朝川原神社(旧郷社)が諏訪大明神と飯綱大明神の合祀によって「朝川原神社」の名を許されたことなどにも由来する[1]。
人口
編集地域内の人口および世帯数(長野市役所浅川支所管内)は、2,780世帯 6,404人(令和5年3月1日現在)[2]。
以下、1880年~1995年までは『長野市誌 第8巻』[3]、2000年~は住民基本台帳の毎年1月1日のデータ[2]に基づく。
第二次大戦末期から、都市からの疎開による人口増加が始まり、戦後は疎開者の引き揚げにより減少した時期もあった。しかし、1964年の浅川団地造営後は一挙に増加し、その後、1978年に西条団地、1981年に神楽橋団地、屋敷田の団地が相次いで造成され、1985年には人口が合併時の2,5倍程度に増加した。浅川小学校は児童数の増加により、1975年に水田地帯であった近くの浅川東条に新築移転している[3]。
しかし1985年頃をピークに人口は減少に転じ、近年は6千人台になってきている。
- 1880年 2170人
- 1920年 2615人
- 1925年 2638人
- 1935年 2780人
- 1947年 3405人
- 1955年 3273人
- 1965年 3759人
- 1975年 5537人
- 1985年 8363人
- 1990年 8116人
- 1995年 8175人
- 2000年 7685人
- 2005年 7404人
- 2010年 7274人
- 2015年 6986人
- 2020年 6676人
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長野市 |
地理
編集地域の北西を三登山 (923m)、北東を飯縄山 (1917m)、南東を地附山 (732m) などに囲まれる。北東の飯縄山麓から浅川が発し、南西へ流れる。地域西部を長野県道37号長野信濃線(坂中峠)、東部を長野県道506号戸隠高原浅川線(浅川ループライン)が走る。周囲は以下の地区[4]と接する。
地区東部は若槻・稲田・徳間などと併せて長野市北部の一大住宅地を形成しているが、当地区は山際のため商業施設等はほとんどなく、比較的長閑な風景である。
地区西部は飯綱高原の入口にあたる中山間地で、小さな集落が点在している。長野オリンピックにあわせて浅川ループラインが開通したこともあり、北西部ではリゾート開発が行なわれた。中曽根には長野五輪ボブスレー・リュージュ会場「スパイラル」が建設されたほか、北郷・三ツ出のため池・湿原地帯には長野京急カントリークラブが開かれた。
沿革
編集あさかわむら 浅川村 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 長野市、古里村、柳原村、浅川村、大豆島村、朝陽村、若槻村、長沼村、安茂里村、小田切村、芋井村 → 長野市 |
現在の自治体 | 長野市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 上水内郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,348人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
長野市 上水内郡若槻村、芋井村、高岡村、中郷村 |
浅川村役場 | |
所在地 | 長野県上水内郡浅川村 |
座標 | 北緯36度40分52.6秒 東経138度12分17.1秒 / 北緯36.681278度 東経138.204750度 |
ウィキプロジェクト |
- 旧浅川村の歴史
- 江戸時代
- 1753年(宝暦3年) - 真光寺村の浅川油田が文献に初出
- 1871年(明治4年)8月 - 浅川油田の石油を基に、日本初とされる石油会社「長野石炭油会社」が設立される
- 1872年(明治5年) - 水内郡伺去村・真光寺村・清水村が合併し、水内郡伺去真光寺村となる
- 1874年(明治7年) - 伺去真光寺村(現 真光寺)に清真学校(長野市立浅川小学校の前身)が開校
- 1879年(明治12年)1月14日 - 郡区町村編制法施行。水内郡が上水内郡と下水内郡とに分割され、上水内郡北郷村・伺去真光寺村・西条村・東条村となる
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行。上水内郡北郷村・伺去真光寺村・西条村(稲倉組区・徳間組区・西組区・福岡組区・坂中組区・台ヶ窪組区)・東条村(西組区)が合併し、上水内郡浅川村となる(西条村東組区・東条村東組区は若槻村の一部となる)
- 1939年(昭和14年) - 論電ヶ谷池(現 長野市上ケ屋)が決壊し、浅川に流入。橋の流失や死亡者など、浅川村内でも大きな被害
- 1939年(昭和14年)7月6日14時頃 浅川村地光に陸軍重爆撃機墜落
- 1947年(昭和22年) - 浅川村立浅川小学校に併設して浅川中学校(長野市立北部中学校の前身の一)が開校
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 上水内郡浅川村、同郡朝陽村・古里村・柳原村・若槻村・長沼村・安茂里村・小田切村・芋井村・大豆島村とともに長野市に編入(第1次昭和の大合併)。1889年(明治22年)時点の旧北郷村域は大字北郷・旧伺去真光寺村域は大字伺去真光寺・旧西条村(稲倉組区・徳間組区・西組区・福岡組区・坂中組区・台ヶ窪組区)は大字浅川西条・旧東条村(西組区)は大字浅川東条となる
- 長野市浅川の歴史
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 浅川中学校・若槻中学校を統合し、長野市立北部中学校が開校。1年間旧校舎を浅川部校・若槻部校として用いた後、1960年(昭和35年)4月28日、大字浅川西条(現 屋敷田)に新校舎開校
- 1969年(昭和44年) - 浅川小学校北郷分校(大字北郷=現 北郷)が閉校
- 1970年(昭和45年) - 浅川小学校畑山分室(大字北郷=現 浅川畑山)が閉鎖
- 1971年(昭和46年) - 浅川小学校門沢分室(大字北郷=現 門沢)が閉鎖
- 1973年(昭和48年) - 浅川油田の商業利用が終わる
- 1974年(昭和49年)9月1日 - 町名整理。以下の通り分割され、大字北郷・大字伺去真光寺・大字浅川西条・大字浅川東条は消滅する
- 大字北郷の一部を分け、浅川一ノ瀬・浅川畑山・門沢・中曽根・北郷・三ツ出が発足
- 大字伺去真光寺・大字浅川西条の各一部を分け、伺去・浅川清水が発足
- 大字伺去真光寺・大字浅川東条・大字浅川西条の各一部を分け、真光寺が発足
- 大字浅川西条の一部を分け、浅川西平・浅川福岡・浅川押田・浅川西条が発足
- 大字浅川西条・大字伺去真光寺の各一部を分け、台ケ窪が発足
- 大字浅川西条・大字浅川東条の各一部を分け、坂中が発足
- 大字浅川東条の一部を分け、浅川東条が発足
- 大字浅川東条・大字浅川西条の各一部を分け、浅川一〜五丁目が発足
- 大字若槻西条・大字若槻東条・大字徳間の各一部を分け、神楽橋が発足
- 大字若槻東条・大字若槻西条の各一部を分け、屋敷田が発足
- 1976年(昭和51年)8月12日 - 浅川清水に長野市霊園(第1期)が完成
- 1977年(昭和52年)10月 - 浅川東条の現在地に長野市役所浅川支所が新築移転
- 1985年(昭和60年) - 浅川一ノ瀬・真光寺の浅川ダム建設事業が国庫補助として採択される
- 1998年(平成10年) - 長野オリンピック・長野パラリンピック開催
- 1998年(平成10年)7月 - 北郷に長野京急カントリークラブが開業
- 2001年(平成13年)11月16日 - 長野県道37号長野信濃線坂中バイパス(坂中〜上水内郡牟礼村=当時)開通
- 2017年(平成29年)3月17日 - 浅川一ノ瀬・真光寺の長野県営浅川ダムが運用開始
浅川
編集浅川(あさかわ)は、浅川地域南東部の地区。浅川一〜五丁目がある(住居表示未施行)。郵便番号は381-0054。
周囲は以下の町丁と接する。
地区内は浅川団地として造成された南向き斜面の住宅街。一・二・三・四丁目が接する中央部に商店が数軒あり、北東の五丁目に県営浅川団地(アパート)がある。
地区内の人口および世帯数は以下の通り(令和5年3月1日現在)[2]。
世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
浅川一丁目 | 103世帯 | 250人 |
浅川二丁目 | 157世帯 | 395人 |
浅川三丁目 | 62世帯 | 145人 |
浅川四丁目 | 91世帯 | 208人 |
浅川五丁目 | 68世帯 | 164人 |
計 | 481世帯 | 1,162人 |
交通
編集- 路線バス
地区内を走る、アルピコ交通の以下の路線系統が利用できる。
施設
編集- 浅川五丁目
- 県営浅川団地
浅川一ノ瀬
編集浅川一ノ瀬(あさかわ・いちのせ)は、浅川地域中部の地区。現在は無人地帯であるため、郵便番号は割り振られていない。
浅川(北浅川)右岸に長細く伸びる地区で、中央部には浅川ダムがある。長野県道506号戸隠高原浅川線(浅川ループライン)の真光寺ループ橋が南東部をかすめるほか、同県道の旧道が浅川に沿って縦走する。
周囲は以下の町丁と接する。
交通
編集公共交通機関などは長野駅まで続くバス等がある。
施設
編集- 八幡神社 (長野市浅川一ノ瀬)
- ブランド薬師(八櫛神社) - 市指定文化財
- 浅川ダム
浅川押田
編集浅川押田(あさかわ・おしだ)は、浅川地域南東部の地区。郵便番号は381-0056。
地区中央部を長野県道37号長野信濃線が南北に走り、駒沢川(浅川支流)が北西から南東に流れる。周囲は以下の大字・町丁と接する。
鎌倉時代に水内郡若槻荘のうち押田郷(おしだのごう)という郷名が見え、当地と比定される[5]。地区南東部は宅地化されているが、そのほかは山林である。
地区内の人口および世帯数は、311世帯 699人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集- 路線バス
地区内を走る、アルピコ交通の以下の路線系統が利用できる。
施設
編集浅川清水
編集浅川清水(あさかわ・きよみず)は、浅川地域中部の地区。郵便番号は381-0072。
周囲は以下の町丁と接する。
中山間地の集落。南東部に長野市霊園(浅川霊園)がある。
地区内の人口および世帯数は、16世帯 26人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集長野市乗合タクシー「あさかわ号」3コースが集落に乗り入れるが、乗車には会員登録を要する。
このほか、お盆などに限り運行される、アルピコ交通の 臨 長野駅 - 長野市霊園 が利用できる。
施設
編集- 長野市霊園
- 白山神社 (長野市浅川清水)
浅川西条
編集浅川西条(あさかわ・にしじょう)は、浅川地域南東部の地区。郵便番号は381-0057。
南端に駒沢川(浅川支流)が流れる。周囲は以下の大字・町丁と接する。
地区南部は西条団地・浅川住宅地として造成された南向き斜面の住宅街。北部の大半は山林である。
地区内の人口および世帯数は、698世帯 1,610人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集- 路線バス
地区内を走る、アルピコ交通・長電バスの以下の路線系統が利用できる。
施設
編集浅川西平
編集浅川西平(あさかわ・にしひら)は、浅川地域中部の地区。郵便番号は381-0066。
南東向き斜面の山間地。駒沢川(浅川支流)が発する。周囲は以下の町丁と接する。
集落は南端にあり、北部の大半は山林である。
地区内の人口および世帯数は、28世帯 77人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集長野市乗合タクシー「あさかわ号」3コースが乗り入れるが、乗車には会員登録を要する。
一般の路線バスはない。
施設
編集浅川畑山
編集浅川畑山(あさかわ・はたやま)は、浅川地域中部の地区。郵便番号は381-0073。
南端に浅川(南浅川)が流れる。周囲は以下の大字・町丁と接する。
山間地の地区。大半は山林である。集落は浅川地域の他地区(浅川ループライン側)よりも、芋井地域の新安集落(戸隠バードライン側)に近い位置にある。
地区内の人口および世帯数は、10世帯 27人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集長野市乗合タクシー「あさかわ号」の4コースが乗り入れるが、乗車には会員登録を要する。
一般の路線バスはない。
施設
編集浅川東条
編集浅川東条(あさかわ・ひがしじょう)は、浅川地域南東部の地区。郵便番号は381-0064。
中央部を長野県道37号長野信濃線が南から北東に向けて走り、長野県道506号戸隠高原浅川線(浅川ループライン)が分かれている。南西端に浅川が流れる。周囲は以下の大字・町丁と接する。
宅地と田畑が広がる。南東部に市役所支所・小学校などの公共施設が集まり、浅川地域の行政の中心となっている。
地区内の人口および世帯数は、189世帯 396人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集- 路線バス
地区内を走る、アルピコ交通の以下の路線系統が利用できる。
施設
編集浅川福岡
編集浅川福岡(あさかわ・ふくおか)は、浅川地域東部の地区。郵便番号は381-0062。
南東部を長野県道37号長野信濃線がかすめる。周囲は以下の町丁と接する。
集落は南端の県道沿いにあり、北部の大半は山林である。
地区内の人口および世帯数は、21世帯 50人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集地区内に路線バスは走っていないが、県道を200mほど下れば浅川押田地区内の停留所が利用できる。
また、長野市乗合タクシー「あさかわ号」2コースが乗り入れるが、乗車には会員登録を要する。
施設
編集神楽橋
編集神楽橋(かぐらばし)は、浅川地域南東部の地区。郵便番号は381-0053。
地区内はほぼすべて宅地化されている。地区中央部に緑ヶ丘公園が広がる。
地区内の人口および世帯数は、307世帯 720人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集- 路線バス
地区内を走る、アルピコ交通の以下の路線系統が利用できる。
施設
編集門沢
編集門沢(かどさわ)は、浅川地域北西部の地区。郵便番号は380-0881。
南北に長い形をしており、南部では浅川(南浅川)が発する。北部を長野県道404号栃原北郷信濃線(浅川ループライン)が通過する。周囲は以下の大字・町丁と接する。
古くからの集落は南部にあり、浅川畑山同様に浅川ループライン側よりも芋井地域の上ケ屋(戸隠バードライン側)に近い。北部は飯綱高原の一部として、別荘地やホテル・美術館などがある。飯綱高原スキー場のゲレンデにも接している。
地区内の人口および世帯数は、97世帯 221人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集- 路線バス
地区北部では、浅川ループライン・飯綱リゾートライン交点にある飯綱第4リフト停留所から、アルピコ交通の以下の路線系統が利用できる。
施設
編集- 諏訪神社 (長野市門沢)
- ホテルアルカディア
- 飯綱高原教会
- アルカディア音楽堂
北郷
編集北郷(きたごう)は、浅川地域北部の地区。郵便番号は381-0075。
地区北部を浅川(北浅川)と長野県道506号戸隠高原浅川線(浅川ループライン)が東西に横断する。地区北部には長野県道404号栃原北郷信濃線(飯綱リゾートライン)がかすめる。周囲は以下の大字・町丁と接する。
戦国時代には水内郡弘瀬荘のうち北郷と見え、これに対する南郷(現在の大字富田に比定)と合わせて北南之郷として1郷分の所務を負担した[5]。集落は地区南部の浅川ループライン近くにある。北部には浅川下流の村々が築いたため池群があり、現在はそれを包み込むように長野京急カントリークラブのコースが広がっている。コースの西隣には長野県環境保全研究所の生態園があり、自然観察ができる。
地区内の人口および世帯数は、55世帯 106人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集- 路線バス
集落から500mほど下った中曽根地区内の北郷岩原停留所から、アルピコ交通(川中島バス)の以下の路線系統が利用できる。
また、集落内に長野市乗合タクシー「あさかわ号」1コースが乗り入れるが、乗車には会員登録を要する。
施設
編集- 長野県環境保全研究所飯綱庁舎
- 生態園
- 長野京急カントリークラブ
- 浅川のため池群
- 浅川大池・猫又池遺跡
- 朝川原神社 - 市指定文化財
坂中
編集坂中(さかなか)は、浅川地域東部の地区。郵便番号は381-0061。
地区北東に三登山がそびえる。中央部を長野県道37号長野信濃線(坂中峠道路)が南北に走る。周囲は以下の大字・町丁と接する。
上水内郡飯綱町へ続く坂中峠の南口の地区。坂中峠は旧北国街道脇道である坂中道の峠で、当地はその登り口にできた新田集落であり、江戸時代には坂中新田村といった[5]。集落は中央部の県道旧道沿いにある。大半は山林である。
地区内の人口および世帯数は、30世帯 56人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集長野市乗合タクシー「あさかわ号」2コースが乗り入れるが、乗車には会員登録を要する。
一般の路線バスはない。
施設
編集伺去
編集伺去(しゃり)は、浅川地域南東部の地区。郵便番号は381-0063。
南東部を長野県道37号長野信濃線がかすめる。周囲は以下の町丁と接する。
高台の住宅地。難読地名であり、仏舎利に由来するとも、西行が飯縄山を詣でた際に詠んだ歌に由来するともいう[6]。
地区内の人口および世帯数は、148世帯 313人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集地区内に路線バスは走っていないが、南に300mほど下った浅川東条地区内の停留所や、東に400mほど下った浅川押田地区内の停留所が利用できる。
また、長野市乗合タクシー「あさかわ号」2・3コースが乗り入れるが、乗車には会員登録を要する。
施設
編集真光寺
編集真光寺(しんこうじ)は、浅川地域南東部の地区。郵便番号は381-0065。
西端を浅川(北浅川)が流れ、中央部に浅川ダムがある。地区の南の隅で南浅川と合流する。中央部を長野県道506号戸隠高原浅川線(浅川ループライン)が南北に走る。周囲は以下の町丁と接する。
中央でくびれた形をしており、主な集落は南東部にある。
浅川油田があった地であり、少なくとも1753年(宝暦3年)以前から利用されてきた。1871年(明治4年)には日本初とされる石油会社「長野石炭油会社」が設立され、本社を東京府神田(現 千代田区外神田三丁目)、日本初となる石油精製所は妻科村石堂町(現 長野市北石堂町)の刈萱山西光寺境内に置いた。当初129m3の産出があり、設備の新設などで224m3まで増やしたが、これ以上は伸びなかった。1881年(明治14年)に同社は倒産し、その後はガラス工場の燃料などに細々と利用されてきたが、1973年(昭和48年)に200年以上に及ぶ石油利用は終わった[7]。現在は石油井戸のみ残され、保存されている。
地区内の人口および世帯数は、31世帯 50人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集戸隠ゆきの路線バスが地区内を走るが、停留所はない。最寄りの停留所は、浅川ループラインを南西に800mほど下った浅川東条地区内。
地区内には、長野市乗合タクシー「あさかわ号」2・3コースが乗り入れるが、乗車には会員登録を要する。
施設
編集- 浅川油田 石油井戸
- 浅川ループライン 真光寺ループ橋
- 浅川ダム管理事務所
- 白山神社 (長野市真光寺)
-
浅川油田 石油井戸跡
-
真光寺ループ橋
-
浅川ダム(試験湛水時)
台ケ窪
編集台ケ窪(だいがくぼ)は、浅川地域南東部の地区。郵便番号は381-0071。
集落は南部にあり、大半は山林である。
地区内の人口および世帯数は、11世帯 18人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集地区内には、長野市乗合タクシー「あさかわ号」2・3コースが乗り入れるが、乗車には会員登録を要する。
一般の路線バスはない。
施設
編集中曽根
編集中曽根(なかそね)は、浅川地域北西部の地区。郵便番号は381-0074。
中央部を長野県道506号戸隠高原浅川線(浅川ループライン)が南東から北西に走る。周囲は以下の町丁と接する。
主な集落は南東部にある。北西部には長野市ボブスレー・リュージュパーク「スパイラル」があり、長野五輪のボブスレー・リュージュ競技会場となった。現在でも公式競技が開ける国内唯一の会場として利用されている。
地区内の人口および世帯数は、46世帯 107人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集- 路線バス
地区内を走る、アルピコ交通の以下の路線系統が利用できる。
施設
編集- 長野市ボブスレー・リュージュパーク「スパイラル」
- 浅川ループライン 中曽根大橋
- 諏訪神社 (長野市中曽根)
三ツ出
編集三ツ出(みついで)は、浅川地域北部の地区。郵便番号は381-0076。
南端を長野県道506号戸隠高原浅川線(浅川ループライン)がかすめる。周囲は以下の大字・町丁と接する。
集落は南部にあり、大半は山林である。地区北部には長野京急カントリークラブのコースの一部がまたがっているほか、逆谷地湿原が広がる。
地区内の人口および世帯数は、10世帯 23人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集長野市乗合タクシー「あさかわ号」1コースが乗り入れるが、乗車には会員登録を要する。
一般の路線バスはない。
施設
編集屋敷田
編集屋敷田(やしきだ)は、浅川地域南東部の地区。郵便番号は381-0055。
全域が宅地化された住宅地。南東部は北部中学校の敷地が占める。
地区内の人口および世帯数は、291世帯 743人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
編集- 路線バス
地区内を走るアルピコ交通の以下の路線系統が利用できる。
施設
編集脚注
編集- ^ 『長野市誌 第8巻』東京法令出版、1997年10月16日、451頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 長野市. “長野市町別人口及び世帯数”. 長野市. 2023年3月19日閲覧。
- ^ a b 『長野市誌 第8巻』東京法令出版、1997年10月16日、452頁。
- ^ ここでは長野市役所の支所管轄に基づく地区を指す。
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 20 長野県』角川書店、1990年 (ISBN 4040012003)
- ^ 足もと歴史散歩 (125) 伺去神社〜近郷一の長い石段が自慢〜 - 週刊長野
- ^ 現地案内板より。写は浅川油田 - 産業技術遺産探訪にあり。