浅井道多

日本の戦国時代から江戸時代初期にかけての武士

浅井 道多(あさい みちあま[注釈 1])は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将徳川氏の家臣。なお、同時代の資料中では通称しか確認できない[注釈 2]

 
浅井道多
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 天文22年(1553年
死没 寛永11年7月18日1634年8月11日
別名 雁兵衛、六之助(通称)
戒名 宗清
主君 徳川家康秀忠忠長
氏族 浅井氏
父母 父∶浅井道忠
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浅井道忠の子として誕生。徳川氏の奉行人として領国内の内政に携わる。主に父・道忠と共に、三河国遠江国甲斐国、徳川氏の関東転封後は下総国匝瑳郡の天領地の代官としてそれぞれ務めた。多くの書状などでその名が確認できる。なお、小栗吉忠や父と共に三遠奉行と称されたと伝わるが、当時はそのような役職であったわけではない。

天正3年5月21日1575年6月29日)の長篠の戦いでは、父と共に設楽原の徳川軍本隊などに従軍している。

のち、徳川忠長に付属させられ駿河国田中城の城番となるが、寛永9年(1632年)の忠長の改易に連座して細川興昌の下に預けられた。2年後に許されたが、同年沼津にて死去した。

脚注

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注釈

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  1. ^ 読みは「みちた」とも。
  2. ^ 島田市指定文化財 焼物免許朱印状[要文献特定詳細情報]など。

出典

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参考文献

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寛政重修諸家譜』(五百九十一巻)[要文献特定詳細情報]