泉漾太郎
略歴
編集栃木県塩原温泉郷の一つである福渡温泉の旅館・和泉屋の後継ぎとして生まれ、のち14代目主人となる。本名・田代太平[2]。
大田原中学(現栃木県立大田原高等学校)在学中に、全国中学生文芸コンクールに応募したところ、1位入選となり、そのときの審査委員長が野口雨情だった縁から、生涯雨情に師事して詩を書いた[2]。
竹久夢二とは親友であり、山岡荘八は義兄弟の仲であった。旅館には、山岡が命名した『竜胆(りんどう)の間』という部屋もあった[3]、旅館に逗留した新鷹会の時代小説作家たちとも交わった[4]。のち小説も書く。
著書
編集校歌作詞
編集脚注
編集- ^ 『著作権台帳』
- ^ a b 「野口雨情と泉漾太郎 塩原もの語り館で企画展 師弟関係のエピソードも紹介」『産経新聞』2018年9月20日。2023年11月1日閲覧。
- ^ 「【いらっしゃいませ!】和泉屋旅館(栃木県・塩原温泉)田代芳寛さん」『観光経済新聞』2017年4月8日。2023年11月1日閲覧。
- ^ 和泉屋旅館
- ^ “第54回★宇都宮市立岡本北小学校★”. 宇都宮プライド 愉快なラジオ. RADIO BERRY (2014年10月10日). 2023年10月24日閲覧。
- ^ “ホーム - さくら市立氏家小学校”. schit.net. 2022年7月27日閲覧。